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秋のような一日 [日記]
今日は午前中「伊丹日曜コース」だった。天気もよくて暑くなくて、割としのぎやすかったようだ。夏休みも後半である。
席主の梶井さんと9月からの伊丹将棋センターでの「奨励会に挑戦コーナー」の企画の最終打ち合わせをする。毎週木曜日のPM6:30~9:30まで、阪上1級と藤原1級が交代で指導対局をする。三面指しで持ち時間も設定しての「特訓教室」である。10月からは子ども教室木曜コースも再開の予定である。
帰宅してカレーライスを食べる。今日は「一門研究会」でもあり、17名参加だった。なかなか日程が厳しいので、できるだけ開きたいものだ。今はこういう機会がないと、弟子が一斉に集まるチャンスがない。他の門下の子も数名いる。奨励会員には、もっともっと切磋琢磨する場があったほうがいいように思う。
研究会は会費があって、基本的に賞金制である。奨励会に入ると、練習でもタダで将棋を指すと、むしろ叱られる風潮があるのだ。(私が入会したときも始めはビックリしたが、そういうものだと割り切った)お金のやりとりだけが目的でなくて、身銭を切る感覚だろうか。今は小額みたいだが、私が奨励会の頃は、有り金を出して勝負するみたいな雰囲気があった。それで負けると、バス代がなくなって歩いて帰るよりないとか・・負ける痛みを覚える意味でもある。
私が棋士になったとき、そのクセが治らずに、ギャンブルで有り金を使い果たすことがあった。足らなくて前借したこともある。これはまずい。精神が腐っていくような気がする。しかし一度足を踏み入れると、なかなかやめられないのだ。酒やギャンブルで身を崩すパターンである。これはちっともカッコよくない。勝負の痛みを覚えるのでなくて、単なる堕落、放蕩である。私の見知らぬ父がその傾向にあり、私もその血を少しは引き継いでいるらしい。
私のように貧乏育ちでも、真面目なタイプでも?生活のリズムやバランスが崩れると、なかなか戻れないものだ。しかし今の世相のように、全くそういう不健全な世界のない志向も、免疫がなくて危ういかもしれない。だから中毒になったときもろいのだ。(自己責任という言葉があるが、それでも20歳までは酒やギャンブルは絶対にやるべきではない)
午後から阪神競馬場に行く。
今日も負け続けだったが、この3連単馬券で勝ち、収支はトントンになった。
半日遊んで、少し精神のバランスが回復しつつある。実はいろいろカッカきていることがあるのだが、考え出すとキリがない。自分の持ち時間では目いっぱいである。私は毅然とした善人にも悪人にもなれないので、普通の人がいいなあとつくづく思う。生きていくことは、常に「選択」なのかもしれない・・悪か善でなくて、好きか嫌いかだろうか?私は常に好きなことのみを選択していくタイプである。
夕食は妻と私と阪上1級と藤原1級でバーミヤンに行った。それから二人を連れて、伊丹将棋センターに向かった。
今晩は。月曜日の朝を前に、こんな時刻にコメントを書いていることが私の生活のリズムやバランスが崩れているあらわれです。仕事上の要請もあって崩れてゆくわけですが、何とかしたい。窪田六段がブログでよく書かれているように、睡眠がとても大事であり、年齢を重ねるに従い、なおさらそれを実感しています。
私はいわゆる「ギャンブル」をやったことがないのですが、それはギャンブルに対する嫌悪ではなくて、恐怖ですね。だからギャンブルをやる人を馬鹿にはしないです。煙草についても同様で、よほど紫煙モウモウの場所に行かない限りは(自宅で吸う者はいないので)、嫌悪はしないです。ただ、かつて小児喘息を患い、今でも風邪をこじらせると喘息気味になるので、自分が吸うことには恐怖が先立ちます。
酒については、私の見知らぬ祖父(母方、母が結婚する前に死んだ)が、最期はアル中で精神病院だったという話を聞いています。祖父は地元では名の知られた染め物職人だったそうで、しかし、年とともに腕が衰え、また機械化も進み、酒に溺れたらしいです。らしいというのは、(自然なことですが)母親があまり話したがらないからで、実は大阪に伯父がいる、というのも最近亡くなってから初めて聞いて、その伯父はヒロポン中毒で刑務所暮らしをしていたとのこと。それは私の父親にも言っていなかったそうです。どちらにせよ、相当な貧乏が背景にはありました。先日母と伯母が大阪に骨を取りに行って、大阪の人は親切だと言っていました。まあ、東京は、他所者が多いし、また広すぎるので、道案内しようにも行動範囲以外はもともと知らない場合も多いですけれども。
いずれにせよ私自身は今のところむしろ「酒が美味しい」という気分を味わったことがないので、とりあえずは大丈夫かと思っています。ヒロポンにも興味ありません(!)。 母親は、私ら子どもが職人の家の手先の器用さを受け継いでくれなかったことを嘆きもしますが。ただ、私の好きな坂口安吾も、若いときは僧侶をめざしまさに禁欲生活を送っていましたが、晩年(といっても40代)になると、酒は不味いものだといいながら飲み続け、ヒロポンも打って必死に仕事をして、しかし、結局精神病院行きになってしまったわけです。私もこれから先のことは分かりません。
いまのところは、お金ではなく時間を「ギャンブル」しているという感覚は結構あります。まさにこうやって文章を書くこと(そしてその前に考えること)がそうですが、何にせよ遠回りなのか近道なのか、「地図のない旅」、というと陳腐ですが、そういう感じはあります。
by KS (2008-08-25 02:39)
KS様
あらためてコメントを拝見してびっくりしています。この熱意は私の日記よりもエネルギッシュですね。でもちょっと長いので、読まれる方も面食らっているかもしれません。私の日記がKSさんのブログ化しています。ご配慮お願いします。
by モリノブ (2008-08-26 00:52)