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、トビオ、くろ、源さん11月2日   泥の河 11月1日 [日記]

 

ひなたぼっこする トビオ(右)とクロ(左)

 今日の昼間はわりとポカポカした陽気だったので、トビオとクロも仲良く?ひなたぼっこしていた。クロはせわしなくて、人間で言うと60歳になるかというのに、相変わらず幼稚な仕草をする。永遠の幼児のようで、いじらしい。トビオは少し年上だが、子どもの頃からおっさんで、憎めないワル知恵者だ。

 今朝から急ぎのゲラの校正の仕上げに入り、その合間に庭に出て、ふたりの相手をする。いつものようにクロが膝に乗っかってきて、私の顔をペロリとなめる。トビオは面倒臭そうにそれを見て、大きなあくびをした。食に関するとき以外、無駄な労力を使わないのがトビオの人生観なのだ。

 トビオとクロと入れ替わりに、源さんをひなたぼっこに出した。神経質な源さんは、はじめは状況を確認するようにじっとして身動きしない。あたりを伺いながら、口ばしをパクッと開ける不思議な動作をする。それから何をするのかと見ていたら、さっさと犬小屋に入ってしまった。身の安全第一で、そこから時間をかけて、小さな冒険を始めるのだ。

 午後になって、少し昼寝をして、また取り掛かりようやくゲラの校正が終わり、郵便局に行って投函する。それから子ども教室のテキストを作成する。毎月二回、自前で作っているので手間はかかるが、指導のノウハウを考える材料で、自分の為にもなっている。何事も実践して継続していると、いろいろと気がつくこともあるのだ。テキストの反省は、いつも難しすぎる・・である。何年もかかっているのに、入門テキストが作れそうにない。何を教えるか、将棋の入門課程は謎である?

 今日は一日家で過ごしたので、気分が落ち着いている。私はもともとは子どもの頃は内向的でもの静かだった。四,五歳のときから留守番しながら、一日ひとりで過ごす方が多かった。20歳あたりのあるときから自分に能弁の一面があることを知り、使い分けているような気がする。自分のことは、意外に自分でもわからないものなのだろう。 


2006-11-02 21:46 
 
 
 
 
「泥の河」 11月1日
 

 

 

堺にて

今日は10時開演の宝塚映画祭「泥の河」を見に行く。また子ども教室のS君のお母さんとばったり会う。

”大阪安治川河口を舞台に、河っぷちの食堂に住む少年と、対岸に繋がれた廓舟の姉弟との出会いと別れを描く。第十三回太宰治賞を受賞した宮本輝の同名の小説を映画化したもの”

 昭和30年代の設定で、主人公が「信雄」という9歳の少年。モノクロで描かれた映像は、いかにも昔の懐かしい風景で、映画の最後で人生の哀しみを味わう少年の姿は感動的だった。  物が無い時代から、物を得た今の時代は、確実に何かを失っているのだろう。人間は、現実のどうしようもない不条理に直面すると、無力な自分を噛みしめて悲しむしかない。子どもとて同じで、そんな重い体験を少しでも積むほど大人になっていくものなのだと思う。 泥の河というと、マルセ太郎さんの一人芝居を思い出す。情感たっぷりに、世の中の哀しみをどっぷりつかって体現する、業の深さを感じながら見入ってしまうのだった。

 昼食を終えてから、帰宅してまたグッタリ昼寝をする。夢を見てうなされた。”対局で東京に行くのだが、何故か夕方からと勘違いして、不戦敗になった夢だった”目が覚めると4時前になっていた。NHKの詰め将棋、京都新聞の詰め将棋の原稿を書いて、ファックスで送る。

 電話が鳴って担当者から「最近不完全作が多くて困りますね・・」送った詰め将棋に余詰めがあったので、お叱りを受ける。何かとミスが多い。「すみませんね」と低姿勢あるのみ。

 遅れていた「子ども教室会報」を仕上げて、コピーしにいって、ようやく発送にこぎつけた。一年中元気いっぱいという訳にもいかないから、しょうがないなあ。自分で慰める。

 昨日から妻も風邪気味で、心もとない。私は風邪はほとんど引かないが、気力が萎えることがままある。そんなときは頭を空っぽにして、とにかく何も考えないでこなしていくことに専念するのがいいのだろう。


2006-11-01 23:07


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