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奨励会の例会日 [日記]

 今日は午前中、大阪教育大付属池田小学校のカルチャアースクールで、将棋の部に参加した。毎年2回あるが、今日も30名くらいの参加で賑わった。高学年、低学年に分かれてトーナメントと、敗者トーナメントと指導対局、大盤解説をする。PTA主催で、将棋の部も例年、保護者の方が手伝ってくれる。毎年、楽しみなイベントだ。

 昼前に終わり、帰宅して昼食を済ませて、すぐに近大に稽古に行く。今日は開始を1時間遅らせてもらったが、電車の中で居眠りしてしまう。今日は雨こそ降らなかったが、少し肌寒い天候だった。

長崎にて

 今日は奨励会の例会日でもあった。結果報告は私は今日は直接聞いていないが、妻への伝言で確認する。この電話の応対の雰囲気で勝ち負けだけでなく、モノになる弟子か、そうでないか判断がつく面もある。理屈でなくて、伝わってくるものがあるのだ。正直言って滅入ってしまうこともある。成績でなく応対でだ。長年聞いていると、少しは声でわかることもある。

 関西将棋会館のHPの掲載がいつもより早かった。いつもこうであってほしい。奨励会は月に2回例会があるが、級位者で年間72局、有段者だと48局、三段リーグは36局である。この結果がすべてなのだ。それが案外わかっているようで、わかっていない気がする。一局の重みである。

 昇級するのは勢いも必要で、コンスタントなリーグ戦の成績でなく、ある意味ではトーナメント戦を戦うようなものなのだ。勝負は強いから勝つものなのだが、奨励会では勝つものが強い要素が大きくなる。かといって、勝負にこだわりすぎると、ロクなことはない。単なる身勝手な人間になるだけだ。その、言葉にしにくい呼吸は弟子もそうだが、ある時期は親の影響も大きい気がする。

 昔は親の反対を押し切って将棋を目指すものだった。今は親が理解あるのかもしれないが、そういうものだけではない。親も師匠も、ある種の覚悟と犠牲が必要な気がする。これもお互いの阿吽の呼吸なのだ。言葉ではない、理屈でもない、あえて言うと真剣さかもしれない。今の時代で、真面目さは受けない分野だろうが。

 棋士になった弟子を含めて見ていても、師匠の言葉は1%しか伝わっていない気がする。そんなものなのだ。それでいいのである。私は、ひたすら見守る(決して暖かくでは無い、どちらかいうと腹を立てながらだろうか)ことだけである。心の中で睨みつけることが師匠の役目だろうか。写真家のN先生なら、モノが飛んでいくけどなあ。今はそんな時代ではないが、そんな時代でないのがつまらない・・とも思う。


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