週末の日記 [日記]
東日本大震災の被害の甚大さに声もなく、唖然とするばかりで、体中から力が失せてしまいそうです・・信じ難い被害の現状が報道されるごとに胸が痛みます・・現実から目を反らしたくなります・・
謹んでお見舞い申し上げます。
週末の日記を記録していないと忘れてしまいそうなので、書き留めておきます。
3月11日(金曜日)
☆安用寺六段来訪
順位戦最終局を終えて、安用寺孝功六段が来宅した。ドライブを兼ねて、三田のお蕎麦屋さんに行く。つくし摘みもかねてのつもりだったが、みぞれが舞って来た。しばらくすると晴れ間も見える、不思議な天気だった。
店の庭先にニワトリ、アナグマ、イノシシの子どもがいた。
アナグマである、アライグマに似ている?
イノシシの子どもで、もう少しすると山に返すそうだ・・
安用寺六段はそばがきセット、私は猪うどん、妻はトロロセットを注文した。
帰りに店のご主人から、山や歩きや自然との関わりの話をいっぱい聞かせてもらった。
店先で記念撮影をする。その後でHIROに行った。地震はそのときらしい。
<3月11日2時46分頃に三陸沖を震源とする大地震があった。宮城で震度7を観測した。北海道から九州にかけて、広範囲で震度6強~1の揺れと津波に見舞われた。マグニチュードは8,8から9に修正された>
雑談していて、さりげなくテレビをつけて、画面に映った地震の映像で、「マグニチュード8,8ですか・・心配ですね」安用寺六段がつぶやいた。
それからテレビに釘つけになる。阪神大震災のときを思い出した・・あのときは私は対局で東京に行っていた。朝からテレビをみたり、公衆電話で連絡したり・・気が気でなかったが、情報はほとんどなかった。今もその日のことは鮮明に記憶に残っている。
<千田三段のお母さんから、千田三段が東京の手前で新幹線の車内にいる、その連絡だった。(三段リーグの最終は3月23日に延期された)結局、東京駅から引き返し、深夜の2時に帰宅できたそうだ>
深夜までテレビに釘付けで、次第に体中が重くなって、つらくなる。余震と津波の猛威にいたたまれない気持ちになる・・一瞬にして消えてしまった町並み・・・別世界のできごとのようである。
☆3月12日(土曜日)
土曜コース、土曜教室
3月12日(土曜)は午前中、子ども土曜コースだった。淡々とこなす・・変わりない日常の大切さと重みを感じる。
やんちゃな子ども達も、開始の挨拶のときはきちんとしている?駒を揃えて、正座して始める。途中から崩れてしまうのだが・・いつまでもたせるかである。将棋に目を向かせるのが指導の実力のバロメーターか?私は指導がようやく初段くらいの気がする。
八枚落ちでうまく誘導した?ここからが難関である。終盤はどうしても自分の力が必要だ。
五枚落ち戦で、うまく指している。次に1五歩、同歩、同香で万全の攻めとなる。端は飛車先を軽くするのがコツでもある。
午後は土曜教室だった。
終ってから喫茶店に行く。
夜はでかけないで、テレビでいろんなニュースに釘付けとなる。被害が大きくなるたびに、目を反らしたくなる・・悲しみや痛みを感じる機能が麻痺してしまいそうだ・・しかし現実にひとつひとつ救助にむけての作業を見るたびに、ほっとする思いもわいてくる。
明日も朝が早い仕事なので、1時過ぎに寝る。
3月13日(日曜日)
☆第54回京都王将戦 子ども日曜コース
京都アマ王将戦に出かける。今年も参加者が減ってしまって70名に満たなくてややさみしいが、来週の(決勝トーナメントと同時開催)「初段獲得戦」は50名くらいの参加があるそうだ。
自宅では「子ども日曜コース」があったのだが、この日は出席が多いみたいなので、心配でときどき妻に電話する。阪上二段と坪井1級なので大丈夫と任せたのだ・・午前中は34名の出席で教室をこなすのが大変だったらしい。私がいない方がのびのびできるかな?
歴代の京都アマ王将の優勝者。私は20回あたりから手伝っている。懐かしい名前がズラリである。京都のアマ強豪はレベルが高いので優勝は至難である。
京都市内の風景
16名の決勝トーナメント進出が終って、いつもよりも早めに帰宅した。
私が帰宅すると金太郎はケージの中でおもちゃを蹴って、鳴らして喜んだ。それが喜びの表現のようである。さっそく部屋に出して遊ばせる。
一日一日が長く感じる日々である・・
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