SSブログ

西成将棋愛好者の集い [写真日記]

 昨日は西成労働福祉センター主催の「将棋愛好者の集い」将棋大会に出て指導対局をして、その後で西成市民館で「10面指し」を行なった。それから「百番」で打ち上げだったので、帰宅して早めに眠ってしまった。ほろ酔い気分のときはそのまま寝て、朝早くに日記を書こうと思ったが、7時半を過ぎていた。

 

 西成労働福祉センター主催「将棋愛好者の集い」将棋大会入賞者。ABCクラスに分かれて30名以上が参加した。当日まで15名くらいの申し込みだったが、当日参加が多かったそうだ。「途中で仕事師に会うとそちらに引っ張られますからね」気まぐれなのがいい。

A級決勝戦の盤面。毎年ここの今宮文庫という図書館で開催されている。

「三徳寮」の奥に「今宮文庫」がある。中に入るとお風呂もあって、労働者の人と出会う。ありむら潜さんに案内していただく。

何でもない風景だが、右手が中学校。真ん中のスチールの棒には「学校の下に屋台を置かれないように、小さな穴が開いていてそこから水が出る仕組みです」あいりん地区の複雑な環境事情の一端なのだ。

派手なのれんの大衆浴場。近くには女湯のないお風呂屋さんもあるそうだ。

<大阪市西成区の三つの建物に3千人以上の日雇い労働者が住民登録していた問題>そのひとつのビルだそうだ。こういった問題は単なる強制でなくて、穏やかに解決して行く方法を探るのが自然だと思うが・・

 将棋大会が終わってから、次の会場に向かった。西成市民館での初イベントで、「10面指し」である。昨年指導した人もいて、楽しく指せた。

 

 駒落ちは少なくて、平手でさっさと始まる。ひとりのおじいさんに平手の中盤バシッと飛車捨ての好手を指されて、一瞬ヒヤッとする。参ったなあと思っていたら、すぐに悪手で救われた。惜しかった!10面指しは1時間足らずで終了した。ネットでときどきコメントをいただく職員のSさんとお会いして、これまたビックリした。「初めは申し込みが二名で困っていたのですが、当日になって10名を越えました」今度は単独イベントで来たいなあと思った。

あっという間に日が暮れて、屋台に日が灯る

三角公園、キリスト教関係の団体による、お話と炊き出しがあった。話よりも食が優先している雰囲気だ・・

三角公園の入り口には大きなテレビが据えられている。立ち尽くして見ている人も多かった。不思議な日常だ。

ふるさとの館

萩之茶屋本通、黒岩重吾さんの小説を思い出す

右上、アーケードの上に何故か監視カメラがある。

今池商店街、趣がある。

パチンコ屋でなくて、安売りスーパーです。徹底した、けばさ!

例年の打ち上げ会場「百番」飛田新地のそばにある。センターの人といつもわりと本音で話す会なので、楽しい打ち上げだった。

 もうひとつの「百番」は昔の遊郭の建物がそのままで、豪勢な作りの居酒屋である。ちょうど定休日だったが、今度は中に入ってみたい。特に外人の人を案内すると、感動するそうだ。

 新世界一番街の交差点、この界隈も安宿が多いので、外人のツーリストが増えてから、雰囲気が変わってきた。異国情緒満載で、これから人気が出てきそうだ。ホテルのロビーにはパソコンが置かれてある。

 

 JR新今宮駅、夜のホームは家路に急ぐサラリーマンの人が目に付く。ここは南海電車の乗り継ぎもあるので、結構多い。私はここから大阪に出て、阪急電車に乗り換えて清荒神駅まで帰る。所要時間は1時間間余りである。 


nice!(0)  コメント(18) 
共通テーマ:blog

nice! 0

コメント 18

mura

西成での10人指し、すごいですね。お疲れ様でした。

天王寺動物園、通天閣界隈の昼間は外国人も含めた観光客が
とにかく多いですね。関西空港から直行する人もいるんでしょうか。
この場所は大阪でも人気のある場所で、私も好きな場所で以前は
よく行きましたが、もう完全に観光の街になりました。
逆に路上カラオケ、踊りも楽しめましたが、すっかりなくなりました。

じゃんじゃん横丁の串かつ屋は大人気で、平日でも並んでるところが
2,3店ありました。
串かつ屋の反対側で将棋を指している様子をガラス越しで見学するのも、名物の一つで、この風景は活気こそすれ、廃れる気配はありませんでした。
将棋会館はテレビの連続ドラマでも出てきたように思います。
森先生もいろいろ関係があると思いますがどうでしょうか?
by mura (2007-10-23 13:25) 

モリノブ

mura様
 10面指しは全く凄くなくて、物足りないくらいでした。私の方はまだまだ余力があります。
 通天閣界隈は以前と比べると、気楽に行きやすくなったのがいいですね。外人のツーリストの影響で、何かが変わってきているように感じます。
 串カツ屋さんはいつも人が入っていますね。大阪市民館の1寸将棋盤は「王将クラブ」から寄贈してもらったそうです。また年期の入った駒もありました。
 NHKの「ふたりっこ」の影響で、いっときは見学も多かったそうです。
 また将棋を通じて西成に行くのが楽しみです。
by モリノブ (2007-10-23 19:35) 

ぐり

西成の記事と写真は、とても楽しみにしています。
私の住む東北には全くない風景です。
今は全国どこに行っても、チェーン店が並び同じような風景ばかりです。

西成はそこにしかない風景がありますね。

いろんな人生や生活があるんだなーとしみじみします。
毎日写真を楽しみにしていますが、
特に今日の写真は、なんだかジンときました。
by ぐり (2007-10-23 21:57) 

潤一郎

こんばんわ。
将棋大会、そして10面指しとお疲れ様でした。
この日は、リアルのモリノブさんにお会いする事ができて本当に嬉しかったです。
名刺交換で「潤一郎です」と自己紹介させて頂いた時のモリノブさんのリアクションが面白くて印象的です。

本当は、もっとゆっくりお話をさせて頂きたかったのですが、「百番」が手招きをしていたそうなので・・・(笑)

お忙しい中、今回はどうもありがとうございました。
また、お会いできる日を楽しみにしています。
by 潤一郎 (2007-10-23 22:06) 

モリノブ

ぐり様
 西成の風景は、泥臭いものがありつつ、覗いてみたい魅力があって、本音で生きている人たちの体温を感じます。震災のときに、隣同士が助け合った記憶が蘇りますが、そんなぬくもりの和、輪みたいなものが、日常的です。裏の世界は危ういものもありますが、どこかゆったりした時間が流れているように思います。
by モリノブ (2007-10-23 23:40) 

モリノブ

潤一郎様
 昨日はご苦労様でした。初めて名刺をいただき自己紹介のときは、本当にビックリでした。奇手を放たれた感じです?参りました。
 またゆっくりお話を伺いたいと思います。是非楽しい将棋のイベントを実現させて下さい。
by モリノブ (2007-10-23 23:46) 

Yozakura

森さま:西成地区の写真、興味深く拝見。
 以前、ルンルン・ピアノにて紹介されていた「激安スーパー玉出」、その生写真に初めて遭遇。撮影に掲載、お疲れ様です。
 お説の通りの「徹底したケバさ」で、ド派手なネオン看板が夜空にグイグイと食い込む、そのエグさに圧倒されました。実際の販売状況は知りませんが、店頭でニイちゃん達が威勢よく「オラオラオラ、わいらの店は日本一、安いんやでぇぇぇ」と声を張り上げている雰囲気が伝わってきます。
 このスーパー玉出の「破壊的な激安販売」は、経済専門誌に紹介されたこともあり。輸入品を積極的に取り扱い、販売要員にも外国人を多用するなど「激安経営を貫徹している」のだそうです。外見の所為でしょうか、そうした激安経営の所為でしょうか、玉出や周辺の風景も日本離れしており、香港か東南アジアの華僑街を想起させる猥雑さに満ちていますね。
 また、森さんの触覚を刺激する風景に遭遇されましたら、記事にして下さい。お元気で。
by Yozakura (2007-10-26 17:51) 

モリノブ

Yozakura
 激安スーパー玉出、地元の人には安かろう、悪かろう・の感想でした。でも入るのですね。どうみてもパチンコ屋の雰囲気でした。
 西成の釜が崎界隈は、東南アジアを思わせる雰囲気がありますね。日本もアジアなのだなあと実感します。
 今はアジアのほうが活気があるのですね。猥雑な雰囲気を歩くのは、元気を取り戻します。
 
by モリノブ (2007-10-28 08:01) 

4枚落ちでゆるめていただいた眼鏡の痩せの162センチ(昭和32年生まれ)貧者

今年将棋大会に参加できなかった(派遣でおかしの工場「高槻市」に、10月5日から11月13日迄夜勤してました。イジメで、次の日辞めました。)が、8年前位に参加した時は、トーナメントはさっさと済ませて(わざと1回戦で負けて「Cクラス」)待望の多面指し。森信雄先生は、その日7勝2敗で、2敗の内1敗は私です。4枚落ち希望し、先生は、手等で2枚落ちにとの事だったのですが、2枚落ちで、プロはおろか奨励会の人にも勝った事がない(愛弟子の怪童丸さんが奨励会の時よく福島の将棋会館の道場でお見かけして指してみたいと思っていた)ので自分流の新手(4枚落ちの研究手順)で指しました。角取られて(角捨てて飛車成り)玉のこびん歩で突かれ(角が効いているので同歩と取れない)ほっといて角が成ってきたら怖いが、多分歩が成ってきて一手違いで勝つ(最後迄は読みきれないが)と読めた(即詰みかな)
by 4枚落ちでゆるめていただいた眼鏡の痩せの162センチ(昭和32年生まれ)貧者 (2007-11-16 16:12) 

モリノブ

4枚落ちでゆるめていただいた眼鏡.様
 コメントありがとうございます。薄っすらと記憶にありますが、四枚落ちは上手が苦しいと思いました。あのときは早くに負けてあせりました。
 福島の将棋会館で村山聖を見かけたとのことですが、なつかしい話ですね。 
 これから寒くなりますが、元気にお過ごしj下さい。
来年は是非ご参加下さい!
 
by モリノブ (2007-11-16 20:15) 

4枚落ち眼鏡(初段だが将棋会館では2、3級と思う)

1980-1985(22歳ー27歳)頃将棋に凝っていて梅田の将棋クラブ(顧問の先生はガッチャン銀先生)や、福島の将棋会館(10回位行った。大山王将対米長先生の王将戦最終局「序盤王将が銀冠にしようと銀が離れた瞬間米長先生が2四歩3五歩4五歩と三歩突き捨ててさばきがはじまった。この大盤解説も見に行った」)に行っていました。奨励会当時の愛弟子の村山聖先生には5回程度お見かけし、「奨励会員なのに(自腹?)で一般人として対局(将棋会館の道場)してるー。」と、考えてました。森信雄先生との指導対局後やる気がでてきてその日暮らしの日雇い仕事から、1999年中華屋さんに就職、店が解散になる2006年7月迄働き、11月12月はガードマン、1月ー3月は飯場、4月から地元で工務店勤務、9月は運転免許証取得、その後は、11月13日まで派遣で働きました。今暇で、図書館で、駒落ちの本とか読んだりしてます。
by 4枚落ち眼鏡(初段だが将棋会館では2、3級と思う) (2007-11-30 22:02) 

モリノブ

4枚落ち眼鏡(初段だが将棋会館で.様
 梅田将棋クラブに行かれていたのですね。将棋会館へもなら、当時も多分どこかでお会いしているでしょうね。
 村山君が道場で指していたのは奨励会に入っていなかったときと思います。いろいろと仕事をされて、ご苦労も多かったことと思います。また指導対局に挑戦してください。元気でお会いしましょう!
 
by モリノブ (2007-12-02 22:51) 

西成に4年居住

前のスーパー玉出は、西成区の岸里玉出がもともとの店と思います。ボクシングの亀田兄弟も、西成区(天下茶屋)です。やしきたかじんの実家は、自分が、新聞配達してた時の担当区域です(西成区潮路2丁目)です。
by 西成に4年居住 (2008-01-01 18:10) 

モリノブ

西成に4年居住様
 スーパー玉出はいかにも大阪ですね。呆気に取られます。亀田兄弟、やしきたかじん、どちらも危なっかしいけれど目立つタイプですね・・
 また西成界隈の散策に行きます。
by モリノブ (2008-01-02 00:14) 

棋士総出の年始福島将棋会館

年始の将棋会館で関西全棋士の顔見世に行った事があります。やっぱり、森信雄先生が一番目立っていたと、ファンの目で思います。普段の将棋会館の道場では、少年時代の村山聖先生が一番目立っていたと思います。それと、将棋会館 福島駅(環状線)前に決めたのは、大山15(?)世名人でしょうか?絶妙の場所ですね?大阪人でもないのに、大阪駅に近く、静かな場所 知ってますね。内回り(?)の天満駅では、ざわざわしてる、桜ノ宮駅では、落ちつかない。外回り(?)の西九条駅では、下町すぎる。ぴったりの場所ですね。最善手です。
by 棋士総出の年始福島将棋会館 (2008-01-10 06:20) 

モリノブ

 いつごろのことでしょうね?私は目立たないようにしているのですが。村山聖がサングラスをかけていたので「どうしたのか?目が悪いのか」と聞くと「いや、目立たないようにと思いまして・・」「あのなあ、余計に目立つがなあ」と言ったのを思い出しました。
 関西将棋会館が出来たころは、福島はすごくへんぴな感じがしていました。今となっては読みの深さに恐れ入りますね。
by モリノブ (2008-01-10 20:31) 

高槻居住1957年生まれ

 先生は、村山聖先生が師事するにあたって、入門後詳しく「何故、私に決めたのか」訊かれてますか。                            私は、先生と村山先生の間の年齢と思いますが、私がプロ入門するとしたら、やっぱり、森先生 第一候補とすると思います。オーラとして、1985年頃の将棋会館の年始の顔見世でも、一番人間味のある師匠と、ファンの目で見えました「1988かも」。                              高槻センター街の将棋クラブにも行った事があります「顧問はマッチ先生」。初めは四枚落ちで、二枚落ちまで「二枚落ちは、負けひとつと両入玉ひとつ」しました(席主としました)。
by 高槻居住1957年生まれ (2008-01-13 01:10) 

モリノブ

高槻居住1957年生まれ 様
 何故私に決めたのか?村山君にそのことを聞いたことはありません。「別に」という答が返ってきそうです。
 師匠と言っても何をするわけでなくて、弟子が自分の力でがんばるのを見届けるくらいでしょうか。
 懐かしいお話ですね・・
by モリノブ (2008-01-15 23:06) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

子ども教室安用寺五段来宅 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。