暮れの日々 [日記]
甲山あたりの空景
きょうは、さすがに8時半過ぎまで寝てしまった。朝食を済ませて、あわてて今日の詰め将棋を作りブログを書く。からだがだるいと効率はよくない。でもこまめに自分のやることを決めていると、悩む要素は減るのだ。ある意味でマシーン化するのはいいことなのだ。理屈をこねてしないよりも、淡々と黙々とこなすことがいい。
どうせたいしたことができるわけでもないと自得すれば、荷が軽くなる。そんな繰り返しだろうか。暮らしの根幹に仕事があるが、私の場合は半分くらいは自由業の職種なので、自分で取り仕切る面と、将棋連盟の一員としてのノルマのようなものもある。できるだけ仕事をしないでというと傲慢か横着か、仕事がないのを見栄を張っているようだが、できるだけ勤勉にならず、怠惰にならず、善人にならず、悪人にならず、と心がけたいと思っているのだ。(コンニャクみたいなものかなあ)
「森さん、お金のことを考えて仕事をしてはいけません」写真家の西川先生の強烈なひと言だが、(私はお金のためのみに仕事をしようと決意しているのだが、現実は逆になってしまうことも多いのだ)見透かされたような、それでいて自分の力量を読みぬかれたような、直言なのである。
お金のために働くことが第一義で、それはわかっているのだが、それを隠すことなく、ひるむことなく、ゆがむことなく、卑屈になることなく、欲を出すことなく、横着になることなく、横柄になることなく、もっとエネルギーを出して、奉仕や普及等と言わないで、こなしていくことがいいなあと思う。仕事に貴賎なし、この言葉が私は大好きである。
昼食はてん川に行く。いつものように「カレーうどんと稲荷寿司」である。よくも飽きないなあと思うのだが、大人の味なのである。
帰りはダイエーに寄る。正月のおせちの買い物が主で、私は隅っこにある小さな書店にはいった。
昨日、裁判所から封書が来ていて、何ごとかと思ったら、倒産した山海堂の件だった。書面を手にすると、厳しい現実を思い知らされる。世の中がどうであろうと、自分の身に破産や倒産が襲ってくると、それは我が身でないとわからないことだ。 一夜にしてたちまち飯が食えなくなる状況になる、それが今の時代は起こりえる事実なのだろう。他人事でない恐さがある・・
こういう時代だから、自分さえよければの境地になるものだが、それがむしろ冷たい時代を加速化させているようにも思う。助け合うという気持ちが薄らいでいくのが、世相だろうか・・複雑だが、私自身は、腹をくくって、極めて簡明になろうと思う暮れの日々である。
☆アルバム<昨年の昆陽池にて 2006、12,28>
昨年の昆陽池の渡り鳥の風景だ。
昆陽池の鳥たちは 金のために生きているんじゃありませんね。
以前ご紹介頂いた児玉龍児さんのサイト見させて頂いてますが
窃盗未遂事件など…将棋の好きなものに悪人はいない ってのも
やっぱ違いますね 金のためになんでもする人間がいて…
嫌な世の中ではあるが 皆生活している。
今日の森さんのお話は とても共感いたしました。
人間として生きていくのはいろいろ厳しいことが多すぎますが
一眠りしたら忘れるくらいが丁度いい…
by トタン屋根のねこ (2007-12-30 12:27)
トタン屋根のねこ様
昆陽池の鳥たちは、自然のままですね。
児玉龍児さんのサイトの件は私も驚きましたが、将棋すきに悪人はいない、残念ながらそんなことはないでしょうね。金に目がいくしかない人間を生む状況も問題です。ニワトリと卵でしょうが・・
一眠りしたら忘れるくらいが丁度いい・・さすがトタン屋根のねこさんの名言ですね。こころがけたいです。
by モリノブ (2007-12-31 01:48)