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一心寺~新世界 [写真日記]

 

 大阪の天王寺にある一心寺、水津さんの納骨から一年になる。昨年の命日には行けなかったので、今日は行こうと決めていた。早めの昼食を済ませ、妻がK歯科から帰ってきてすぐに出かける。小雨日和だが。これ以上は崩れないだろうと読んだ。

 天王寺から歩いて一心寺に向かう。一心寺シアターは劇団コーロの「聖の青春」があったところでもある。新三千佛堂に入り、ローソクとお線香を買って回ることにした。「線香を1本づつ置いておけば一周して少しお線香が余ります」

死のうと思う日はないが 生きてゆく力がなくなることがある

そんなときお寺を訪ね わたしはひとり 佛陀の前に座ってくる

力わき明日を思う心が 出てくるまで座ってくる

(浜村真民の詩「生きていく力がなくなるとき」より)  一心寺パンフレットより抜粋

 一心寺への参拝の人は多かった。今日も納骨の遺族が多いようだった。昨年のことを思い出していた・・もう一年経ったのだ。境内を回ると、昔からのお墓には「このお墓の所縁の方はご連絡下さい」の札がけっこうある。自分が死んだらどこのお墓に入るか、そんなことを考える年になってきた。「一心寺がいいなあ」妻がつぶやいた。「いろんな人がいっぱい来ているからにぎやかがでいい・・」「そうやなあ・・」一心寺は水津さんの納骨がある前から、わたしの好きなお寺だったので、何度も来たことがある。無縁仏を受け入れてくれる、そんな懐の深さと庶民的な、なじみやすさだろうか。芸人のお墓もいっぱいあるのも納得だ。

”十年間のご納骨をもって一体のお骨佛さまが造立されます。次期開眼は平成29年。第14体目。毎年4月に前年度ご納骨の各家にご案内して、定例納骨回向大法要を開筵いたします。”    一心寺パンフレットより

 一心寺を出て、昨年と同じ様に、新世界方面に向かう。通天閣がどこからも見える。動物園に沿って散策していると、大衆演劇「浪速クラブ」の劇場があった。夕方からの部の整理券を勝手に持っていくようになっていた。ここからももちろん通天閣が目の前だ。古い洋画を上映している「新世界、国際会館」もある。地下は成人映画である。

 

 

 角を曲がるとお芝居の「朝日劇場」があった。ちょうど昼の部が終わったところで、入場口あたりはお客さんが数人の役者さんを取り囲んでいた。記念撮影やらサイン会やら、凄い熱気があった。

 通天閣の下を通り過ぎて、時間は早いが、串カツを食べることにする。キンギンギラギラの派手で大きな店が多くて、どこに入るか迷ってしまう。最近の傾向として、おばちゃんグループと意外に若いカップルが多いのだ。

 結局、「初代エビス」という店に入る。串かつ、お好み焼き、どて焼き、生ビール、などを注文する。店の中はだだっ広くて、数百人は入れそうだ。この界隈は、昔、私がオールナイト映画を見に通ったところだ。当時は将棋連盟が阿倍野にあって、私は住み込みの塾生で、優秀だったので?宿直の先生が、週末の夜だけ映画を見に行く許可をくれたのだった。昔の大映、東映映画が主だった。朝帰りして、街をテクテクと歩いて帰る。将棋漬けだったが、当時の数年間はそれだけが唯一の趣味だった。

 通天閣の周辺を回り、足が痛くなって、下の喫茶店に入る。ちょうど相撲の取り口の終わりころだったが「朝青龍負けへんかなあ」喫茶店の人がつぶやく。

 店を出て、JR新今宮まで歩く。この界隈はどこからも通天閣が見える。ライトアップして、ますますきれいだ。通天閣の界隈も人の流れが少しづずつ変遷しているようだ。それでもこの街を歩いていると、人の息吹が間じかにあって、縁台将棋の世界がまだまだ残っている場所なのである。

☆産経新聞の私のコラム、棋怒哀楽「鳩の源さん」です。どうぞご覧下さい。 


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