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土曜教室 [将棋教室]

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部屋も教室もごった返し?状態である

 今日は子ども土曜コースで、欠席が多くて18名出席だった。今日は静かかなと思ったら、そうでもない・・①挨拶をきちんとする②対局中はしゃべらない③駒は桝目にきちんと並べる、口をすっぱくしてもなかなかであるが、子どもには根気よく向き合うしかないような気がする。子どもパワーに負けてはいけないのだ?

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 叱るのと諭すのと、説明するのと意志を伝えるのは、似ているようで微妙な違いがあって迷うのだ。私は本来は叱るのが苦手で、割と好き放題させるが、急所は子どもたりといえども譲らない精神である。きつそうで甘い、甘そうできつい、そのどちらも当たっているだろう。(前者が7割か?)要は指導する立場の私のことよりも、子ども達自身が実りがあることを望む。ひとことで言うと「自分を大事にしてほしい」に尽きる。

 午後は「土曜教室」で、近頃は4時を過ぎると将棋を指すエネルギーが半減してバテ気味、それにお腹が空き気味で困る。それだけ仕事熱心ということだが?将棋を指してバテるようになるとは、信じられない。これではあかん。

 以前、10秒将棋で一日百番勝負をN六段とやったことがあるが、さすがに無理だった。80番くらいでダウンした。腕が痛くなり、頭が朦朧とする。N六段は「もう終わりですか?」とまだファイティングポーズでやる気満々だった。成績はほぼ指し分けだった。

 将棋に夢中だった子どもの頃(小学5年~6年で7級くらいの棋力だった)につけていた成績表を見ると、ほぼ週に4日で、一日10番くらいが多くて年間で550勝450敗くらいの成績だった。(超早指しの口の悪いおっちゃん連中相手だが)負けた将棋はきちんとノートにメモしている。このあたりは偉いなあと思う?そしてその当時から詰め将棋を作るのが好きで、年間100題をノルマにしていたようだ。(内容に関係なく作るのが好きだったのだ)

 今は世の中全体が、勝ち組負け組の要素があって、勝ち負けの意識が強くなった分、楽しむことが薄らいでいるかもしれない。負けてしまえば意味が無い、その価値観が蔓延しているせいだろうか。勝ち志向が価値観なのである。どこかつまらないものがあるが、そうも言っていられないのが実状なのだろう。

 参加することに意義がある、昔はこういう言葉が生きていた・・何故こうなったのかはわからないが、少なくとも自分が負け組だけにはなりたくない、そんな意識が一般的になっていて、そこからの生活設計が多いのではないだろうか。人間社会が変わって、こういうシステムを打ち砕くような感性があればいいのになあと思うが、夢だろうなあ。意味のないたわごとなのだろう。

 そういう自分が、アクセクとあれこれ考える筆頭かもしれない。私の心の奥をのぞくと、心配とあきらめと楽観と無知と居直りと不安とのんびりが入り混じった精神である。要するに混迷しながら(但し妙に動じない精神がまれにある)アタフタしながら、いじけながらも、急所は噛み付いて離さないで・・いようとしているのだ。やっぱり不気味だった子どもの頃と変わってはしない・・このまま人生をまっとうするのだろう。

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☆明日は皐月賞である。

 予想(今回も水の泡か)

三連単ボックス=⑥キャプテントゥーレ ⑧ダンツウィニング

           ⑩ブラックシェル  ⑭ノットアローン 

           ⑰フロテーション  

    


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