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あれこれ秋の暮らし [写真日記]

 

☆静思館のアルバム 2007,10、9

 今日も8時前で遅く起きてしまった。いつもだと寝床をすぐに出るのに、もう10分、後5分と、未練の眠りがある。仕事が残っていると、どこか落ち着かなくて精神衛生上よくないみたいだ。年齢のせいか、心なしか仕事のエネルギーが薄まっていることに気がつく。時間があると、仕事はまあいいかで、すぐさま出かけたくなって困る。秋のいい季節は仕事モードが消えて、おでかけモードが全開である。

 昼食の後で、メガネの○眼に行く。いつもは他になじみの店があるのだが、ふらふらと入った。「縁の大きなメガネはありませんか」「今は全体に薄くなっておりますので、お客様のおっしゃられているタイプはほとんどありませんね」数日前からメガネが古くなって緩んで、鼻の脇が炎症を起して痛いのだ。仕方なくて、以前に作っていた老眼鏡をかけていた。結局、いちばん縁の大きなフレームでメガネを作ることにした。

 

 その後で、Kーズ電気に向かう。これも数日前から原稿を仕上げていたせいか、手の裏が痛くなって、困っていた。マウスパッドとキーボードを打つときに手を保護するものを買った。「冷蔵庫を見てみようか」以前から定期的に水がたまって困っていたのだ。10年くらい使ったので、特に冷蔵庫は暮らしの食の宝庫だから・・結局買い換えることにした。10年保証とは10年後に壊れることかなあ?妻は迷っていて、遠慮がちにバーゲンの方の冷蔵庫をみていたので、「折角なら容量の多いほうが」とパソコンではないが、大きな方を奨める。30分くらい店員さんの説明を聞きながら、往復して迷いつつ比較する。そして決めた。

 今の時代は、仮想メモリーではないが、普通に暮らしていると、仮想収入と現実支出のバランスが難しいように思う。どこを押さえてどこに重点を置くかだろうか。秋から一斉に値上げが押し寄せてきそうで、一体何処の景気がいいのだろう。企業の倒産も減るどころか、増えているそうだ。 

 私は意外に?所帯じみた話が好きだ。飯を食って生きていく、それが体の根本にあるのだが、ハングリー精神は薄い。子どもの頃は貧乏人のお坊ちゃん、よくそんな風なことを言われた。貧乏なのに妙に誇り高いのだった。その根底にあるのは、お金に支配されたくない、子ども心に染み付いた魂みたいなものがある。但し決して成功しようとか、金持ちになろうとも思わないのが、私の呑気な性(さが)なのだ。人との競争に興味がないのも困ったものだ。


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静思館 [写真日記]

 今日はゆっくり起きる。日課になっているパソコンを付けに行くと、前夜宿泊のT5級がまだ眠っていた。以前は少し躊躇していたが、今はすぐに電気を付けることにしている。師匠が弟子に気を使うのも変だから?

 体が少しだるかったが、日課をこなす。日々の日課は体調が万全でないときほど、淡々とこなす方がいいみたいだ。但し、仕事にはならない。T5級が九州に帰って行った。早めの昼食で、午後からは出かけることにした。妻の「ルンルンピアノ」は義母のことなどでゴタゴタして、今日も休みで、明日からになるみたいだ。

 ピピアめふの「バグダッドカフェー」に立ち寄ってから、道の駅「猪名川」方面に行く。ふと思い立ち、戸隠神社のそばの大国宮神社に行くことにした。道路の開通のために、ひょとしたら立ち退きもある、そんな情報もあったらしく、興味をそそられたのだ。カーナビが反応しなくて、人に尋ねたりしてたどり着いた。でも入りにくい雰囲気なのと、ベルを押しても不在だったので、あきらめた。

 帰りに猪名川町役場の隣にある「静思館」に入る。4時前に入館したが、親切な係りの人が「恐れ入りますが4時半までですので」と教えてくれた。又今度じっくり来ようと思った。

 4時半になり、静思館を出て、あたりを散策する。古い土蔵や家並みが、古の名残をたたずまわせている界隈だった。情緒と貫禄がある界隈だった。「ちょっと叱られた・・」妻がひそひそと話しかけてきた。骨董屋さんの前で写真を撮っていたので「撮るなら断ってからの方がいいよ。あっちの人はお知り合い?」と聞かれたらしいのだ。私の方がだいたい怪しまれる。

 帰宅の前にダイエーで買い物をする。買い物はたいてい私も妻にくっついて行くのだが、けっこう楽しい。買い物車を押しながらだが、納豆の前などは素通りするのだ。

 夜はピピアに映画に行こうかとも予定していたが、眠そうなので止めにした。妻は今日も義母のところに行った。随分話し込んだようでPM10時を過ぎても帰らないので、電話して迎えに行く。ついでに久々にサイゼリヤに行くことにした。

☆ミニアルバム稲穂 2007,10,7

稲穂と借り入れ

 


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インド帰りの川崎三段 [写真日記]

黒くて見えにくいが、左に源さんがいる。南北緊張緩和かな。 

 今日も朝から仕事だったが、昼間にダイヤモンドシティーに行こうと準備していたら、電話がなった。インドに旅をしていた弟子の川崎三段からで、「今からお邪魔してもいいですか?」今日か明日か帰国するのは知っていたので、即座にOKだ。

 一時間後に現れた川崎三段は、何かプンプン匂いがするようで(私は鈍いので気づかない)さすがにインド帰りである。荷物の少なさと、変なカバンにも驚いたが、これならインドでも大丈夫が私の直感だった。インドは旅をすると、好きか嫌いか極端に分かれる国だ。「いやあ疲れましたねえ。」体の疲れもあるが、インド疲れは、ほとんど対人の神経である。「お金はいらないからと言って寄ってくるのですが、いらなかった試しはないですね」

 私がインドの旅をしているときも、ホテルの部屋でのみ少しゆっくり出来たが、外に出ると一分たりとも落ち着かなかった。ゲンナリするほど、寄り添われて、プライバシーが存在しなくなるのだ。川崎君の話を聞いていて、当時と余り変わりないのに安心したが、変わりないもののたくましさは揺るぎがない。ただ貧富の差はますます広がっているようだ。これはどこの国でも同じ現象だろうか。

 「お腹は壊さなかったか?」「カレーばかり食べていたの?」妻と私の好奇心そそる質問に、平然と返事をするのが頼もしく見えた。よく見ると太って帰ったのかなあ?私よりもタフな気がする。

「師匠のインドのヒゲ面の写真でわかりましたが、わざとヒゲ面で強面の方がいいのですね」

 デジカメ写真を見ていて、はっとした。記憶のある風景で、バラナシーの久美子ハウスだ。懐かしかった。そこが満員で隣のホテルにしたそうだ。私はそこで藤原新也の「インド放浪」の文庫本を見た。ズボラな川崎君にしては珍しく、旅のメモをつけていたみたいで、ゴソゴソ取り出して旅の行程を話してくれた。

 8月にタイに行って、9月にインドはいいなあ。うらやましい・・私もそろそろ世俗を離れて・・世界放浪の旅に・・とはまだいかない。外国を旅をするというのは、自分と異なる価値観を知り、あらためて自分の価値観を探るようなものだろうか。川崎三段は、重い腰を上げて、ともかく行動に移して旅をしたのが素晴らしい。弟子を誉めすぎるとロクなことはないが、いい糧を培ってほしい。


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蕎麦を食べに行く [写真日記]

 

玄関に下りて、外に出してと懇願された

 今朝は寝坊して8時過ぎに目が覚めた。私は遅寝、早起きだが昼寝でバランスを取るのだ。今日は昨日の疲れで心身ともにすっきりしない。ボンヤリしていたが「昼は三田の蕎麦屋さんに行こうか?」と提案する。妻もバテ気味なのと、通院(三度目の定期的なもの)があるので、昼食の準備ができないと読んだからだ。

 早速、合意して三田方面に走る。いつもコスモス畑を見にいくときに目にした蕎麦屋「山獲」やまどりを目指す。ノボリが立っていて気になっていたのだ。十割蕎麦とあったが、私は猪蕎麦、妻はかけ蕎麦を注文した。見晴らしのいいところで、店内も最近移転したところらしくて、広くて新しい雰囲気だった。蕎麦と炭焼きもあるようだった。

 店を出て、小さなコスモス畑の前に車を止めて、写真を撮る。いつもだと寄り道するのだが、少し体がだるいので、早めに帰ることにした。帰宅して3時間くらい昼寝をしたようだ。相変わらず、横にはトビオと源さんがぴったりくっついていた。

 目が覚めて仕事に取り掛かる。合間に水津さんの「旅の仙人写真館」のフィルムをスキャナーする。ブログにアップするストックがなくなったからだ。ようやく仕事のピッチがあがってきたようだ。

 夕食は「栗ごはん」「板井原ごうこ」「シャケのホイル焼き」でおいしかった。栗ご飯は苦手だったが、自分達で拾った栗だとこうもおいしいものかなあ?

 夕食後はまた仕事である。昨日「板井原集落」の写真をアップしたが、今日も続編と思ったが、休みにした。撮った枚数が多いので(おそらく700枚くらい)見ていても疲れるのだ。昨日で半分くらいは整理できたが、根気が失せる。写真は一枚一枚見ていくのだが、同じカットも多くて(取りこぼさないために慎重すぎるから)迷うのだ。気持ちよく撮れるときは、ますます増える。昨日は1ギガのカードを二枚持って行った。後日別のアルバムでアップします。

 夜は一段落してHIROに行く。

 

 


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栗拾い [写真日記]

 午前中、伊丹子ども教室があった。席主の梶井さんの入院で、伊丹将棋センターで土日を手伝うSさんとSYさんが早めに来られていた。お客さんの要望で土日だけはクラブを開くことになったのだ。今日は欠席もあり少なかったが、いかにも子ども教室の雰囲気だった?

 帰宅すると「森一門研究会」をやっていて、今日は15名参加だった。見るとトビオがソファーでグーグーといびきをかいて寝ていた。チャンピオン戦は大石三段に澤田二段が挑んでいた。相変わらず、10時から始まるときに私がいないので、手合いが遅れがちみたいである。少々情けない。数年前は子どもの雰囲気のあった弟子も、いつのまにか大人じみた表情になっているが、中身はどうだろう。

 今はもうひとつ、弟子全体に、将棋のプロを目指しているオーラがない。それが気にかかる。競争心や真剣さ、深刻さが薄らいでいるように思う。修行の体をなしていない環境にあるせいだろうか。学校に通いながらの弟子が多いせいだろうが、世の中の仕組みの中で、知らないうちに、なにか平均化される空気が恐い。将棋のプロを目指すのは、本来独自の世界に入門したわけだから、修行がいちばんのはずなのだが、今は学生生活の合間に奨励会員でもある、そんな感じがする。薄いほどすべてが薄まるものなのだ・・棋士の世界も同じかもしれない。

 今日はカレーを食べてドライブに出かける。あてもないときは、長尾トンネルを越えて西谷に出る。そこから三田方面の後川に向かう。数年前のコスモス畑のあたりを越えると、高平小学校が見えた。「モリタ観光園」の看板も見えて、味覚狩りを覗くことにした。家族連れがいたのでついて行くと、受付があった。

高平小学校

モリタ観光園

 近くの子どもが二人で受付にきて「ねえ、あのウコッケイの卵ちょうだい」と頼み込んでいた。一緒に見に行くと、ウコッケイが数羽いて、小さな卵があった」「卵どうするの?」農園の人が聞くと「うん!卵を抱いてヒナにするんだよ!」私は思わず「そりゃあ、無理やろう」と声が出た。しかしなんと素朴な子ども達だろう・・農園のオバサンも「そうやなあ、無理やなあ。」

 栗拾いは初めてだったが面白かった。落ちている栗を拾うのが栗拾いだったのだ!妻も私も初めてだったので、すべてが感動である。人間とは恐いもので、その内に(もっと大きな栗だけ拾ったほうがええなあ)と世間ズレした智恵が機能し始めるのだった。他のグループは子ども連れのせいもあるが、栗園の隅まで回ってのんびり採集しているみたいだった。私はこういうときでもせっかちだ。

 モリタ観光園を出て、「高売布神社」に向かう。着くとすぐに工事の人がやってきて「ここは由緒ある神社で、本殿も立派やで」と教えてくれた。いかにも格式のある神社で、”多田源氏の祖、満仲がこの地方に広大な荘園を持ってからは、荘園鎮護の神として崇敬を集めた”

 神主さんが帰られて、工事の人と談笑してその後で、挨拶された。パンフレットもわざわざ持ってきていただいたようだった。裏に回り本殿に行くと、不思議な形の狛犬がいた。まるでモアイ像である。本殿は1513年に再建されたそうで、”大工の棟梁は播州日原の藤原光善吉、宗次で、工匠の名技を随所に見ることができる華麗な神殿である”

 夕方になり帰宅する、研究会は早めに終わったようで、誰もいなかった。

 チャンピオン戦は澤田二段3-1大石三段、Aクラスは優勝Y2級、二位は来海4級、Bクラスは優勝千田3級、二位は上田6級、10秒将棋トーナメントは優勝が大石三段で、二位はY2級の結果だった。

 夕食は昼間のカレーを食べて、少し一段落した。

 


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ナイル書店 [写真日記]

 今日は遠出をするつもりだったが、朝起きて天気予報を見てあきらめる。仕事をするかなと思っていたが、妻と「ナイル書店」の話しになり、どうしても確認したいことがあるので行ってみることにする。遊びで、こうなると私は素早い。

 中国道で滝野ICは30分くらいで着いた。すでにナイル書店は目の前にあった。駐車場に止めて写真を取り出すと、奥の釣具店から男の人が出てきたので挨拶する。以下は写真あれこれ、参照。この間からこういうことが多いのだが、この方がオーナーさんだった。ナイル書店はなくなってしまったが、レストランは10月に再開し、あのラクダのオブジェは残るらしい。それを聞くために来たようなものなので、ほっとした。しかし、今は生存競争の厳しい時代である・・

 オーナーの方に教えてもらって「闘竜灘」に向かう。男っぽい名所だった。

加東市にある闘竜灘には奇石、怪岩が点在し、3メートルの高さから豪快に水煙をあげている。古くは加古川随一の難所として、また舟運の要所として栄えてきた。「闘竜灘」の名は幕末の詩人・梁川星厳が水しぶきの様子を巨竜の躍動に見たてて記したことからついたものという。飛び鮎の名所としても知られ、全国に例を見ない独特の漁法「筧どり」が行われ、毎年5月1日には全国に先駆けて鮎漁が解禁となり、多くの釣り人が訪れる。”

滝寺荘

 昔の面影が残る観光地の匂いがする。街道を歩いていると地元の男の人が「こんにちは、いいところありますか?昔はこの街道筋も、もっといっぱい店があったのですよ」と教えてくれた。海のそばではないが、舟運が盛んだったせいか、港の雰囲気がする。

 早めの昼食は、闘竜灘に面する「滝寺荘」のレストランに入る、私は秋の味覚定食、妻は鮎寿司を注文した。窓の外の波しぶきの激しい川べりに、白鷺と青鷺がじっと佇んでいるのが見えた、根気がいいなあと感心する。

 

 

 滝寺荘を出て滝野温泉「ぽかぽ」に向かう。ぽかぽかの雰囲気漂う名前である。「地下1300メートルより、1分間に290リットル湧いているそうだ。温度37,2度。泉質はアルカリ単純泉。今日は川の湯が男風呂で、山の湯と入れ替わるらしい。このところ気に入っている低温風呂にゆったり浸かる。

ぽかぽ 露天風呂

 帰りは高速でなくて、下を走ることにした。R372経由でR141から新三田に抜ける道だった。このところこの界隈をよく走っているので、何となく距離感がわかってきた。

 思いがけない一日だった。ナイル書店、闘竜灘、ぽかぱ、初めて訪ねた土地だったが、なじみ深いような縁を感じるのだった。古きもの、昔からの名所、現代の憩いの場、小さな旅のこの組み合わせがキーワードかもしれない。ちょっぴり贅沢な旅だが、まあいいか、後ろめたさよりも満足感が大きい。こうなると開き直って、どんどん小さな旅をしよう・・昔からの名残の風景を求めて。

☆アルバム「滝野の街道を歩く」2007,9,28

 

 


 


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帰省する [写真日記]

 

竜野西SA

 今日は愛媛の実家に帰る。8時半すぎに出発して、休憩を増やしのんびり走ったので、着いたのは12時過ぎだった。姉と甥のタツヤ、姪の子どもコウタが来ていて待ちきれずに食事に出かけたらしい。母を連れて、妻と三人でさっそく昼食に出かける。「さらり」という店で、私は蕎麦の定食を注文した。

 車で走っているとき、橋詰君兄弟のお父さんから電話があった。「ひょっとして、森先生は三島に帰っていませんか?」電話に出た妻はびっくり仰天したが、さっき交差点で運転手の私をみかけたらしいのだ。ちょうど骨折で奨励会も休んでいる橋詰雅斗君を病院に送るために、学校を早退して帰宅途中だったそうだ。

 食事を終えて、母の家の前の三島病院で、橋詰家と待ち合わせることにした。車を止めて歩いて病院に向かったが、着いて直に出会えた。雅斗君はようやく痛みも止まったそうで、しばらくは安静が続くが、まずはほっとした。あせらないで、じっくり治して、またがんばってほしいと思う。

姪の子ども、コウタ

 母を乗せてドライブに出かける。今回は新居浜方面で「マイントピア別子」が目的地だ。別子銅山跡地に建設されたテーマパークらしい。鉱山跡、温泉、グルメ、ショッピングなどで楽しめるとある。

マイントピア別子

 国道11号線を40分くらい走ると、マイントピア別子に着いた。鉱山鉄道に乗り、観光坑道に入る。あまり時間もなかったので急いで回る。私は別子銅山は初めてだった。マイントピア別子からもっと山の奥にも、いろいろあるようで、今度のときに行こうと思う。どこもそうだが、かっての歴史を思いながらの遺産めぐりは、現物に接すると感慨深いものがある。

観光坑道へ

水力発電所

 ドライブの帰りは11号線から、海岸沿いのコースに変更した。途中で車を止めて、法皇山脈や瀬戸内海の風景を撮る。どこかで心の中の風景をみているような気もする。

 6時頃に家を出て、帰ることにした。滞在時間は短いが、なるべく気楽に回数を多めに帰省する方針で、その方が帰るときに、母も名残惜しさが薄らぐのでいいみたいだ。あっけらかんと別れる方がよい。

 昨日までの疲れもあって、途中で何度も休憩しながら、のんびり帰った。しんどいときは車を止めて、PAで居眠りがいちばんだ。結局帰宅したのは10時半だった。めまぐるしい一日だった。

 


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モンゴルの里 [写真日記]

 今日は妻のピアノのレッスンもなくて、オフだったので、ドライブに出かける。(少し仕事が気になるが、キリがない)こういうときの呼吸は一致する。ちょうど学校のズル休み仲間のような心境である。早めに帰って仕事をする、つもりだったが、走り出すと忘れてしまい、丹波の草山温泉観音湯方面に行くことにした。

そろそろコスモスが咲き始める

 宝塚から猪名川の杉生~丹波猪村経由で、12号線を走り篠山に出る。そこから176号線に戻り、300号線経由で草山温泉に着いた。このルートは山の中を走るので、少し遠回りでも車も少なく気持ちがいいのだ。

モンゴルの里

 今日の昼食は、草山温泉にある「オータニ モンゴルの里」と決めていた。以前にも入ったことがあるが、いながらにしてモンゴルの雰囲気を味わえるのがよさである。

レストランにもなっているゲル

モンゴル文字、ひらがなに似ている。すべてタテ書きだそうだ。

部屋の真ん中の天井

 食事の前にゲルの中を撮らせてもらう。赤が基調の色彩豊かな配色は、華やかな雰囲気がある。部屋の真ん中の空が見える天井が明るさを醸し出している。レストランでありモンゴル博物館のようでもあり、実用的な住居でもあるようだ。

 昼食はサラダ、シシカバブー、モンゴルパン、ピザ、を注文した。

モンゴル パン

 ピザ

モンゴル オルゴ茶(雲南茶に似ている)

 食後に店の奥様(日本の方である)が「モンゴル将棋」を持って来られて、そこから話が弾み、モンゴルのお話をいっぱい聞くことが出来た。子どもの教育の話で、モンゴルでは大家族のせいもあるが、子どもでも幼い頃から団体生活の躾けは厳しく教えられ、自分の役割分担は自覚するそうだ、家族関係でもシンが一本通っている・・今の日本を思うと考えさせられる話だった。

モンゴル将棋の駒

宿泊できるゲル

 モンゴルの里を出て、観音湯に入る。露天風呂もあり、いいお湯である。平日の昼間から、バチが当たりそうだが、他にたいして欲はないから、日々あれこれほどよい加減なのである。

草山温泉 観音湯

 帰りは97号線で丹南町に出て、176号線から新三田、いつものコースである。少し眠くなったので「デカンショ」で休憩する。井戸水コーヒーを飲み、10分ほどうつらうつらすると、目が覚めた。

97号線からの田園風景

 帰宅してあわてて仕事に取り掛かる。今日もあわただしく、あっという間に一日が過ぎていく。


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野菜、村、食事 綾部行 [写真日記]

 昨日は(9,18)山崎七段を連れて綾部に行った。10時過ぎに宝塚を出発して、11時半くらいに95さん宅に到着した。すでに出口三平さんが来られていて合流した。少し休憩して(95さんは詰めパラの前身である「紳棋会」という小冊子や古棋書を蔵書されていて、山崎七段も興味深々)○○食堂に向かう。見たことのある風景と思ったら、大本教の以前案内していただいたところだった。この極秘食堂?はボリュームたっぷり、ヘルシーな昼食で、私はカレーライスを注文した。小皿に付き出しをもらって、おいしくいただく。教団の人でなくとも入れるそうだ。値段は驚くほどの安価で400円とのことだった。二度ビックリである。

 昼食後、綾部駅前の「アンネのバラ」に寄ってから、95さんの奥様の実家に向かう。近くに牛舎があって、写真を撮っていると、ぞろぞろと牛たちが様子を見に来ていた。その後で以前にも伺ったことのある野菜畑に案内してもらう。いろんな種類の野菜があって、なすび、里芋、メロンなどを収穫する。山崎七段も初めての体験だったが、楽しそうだった。里芋を手にする山崎七段、案外絵になるの格好だ。

 次にSさん宅に向かう。8年前に大阪から綾部に移って来られたそうで「綾部市の田舎に住もうの説明会に来て、気がついたらこの家に移り住んでいました」とのことである。それから農業に従事されて8年なのだ。部屋に案内されたが、落ち着いた佇まいの雰囲気だった。「道が行き止まりなので、村の人しか通らないのですよ」静かな時間が過ぎる。さっそく手作りのピザをいただいた。

 家を出てSさんのビニールハウスに向かう。パプリカがあった。派手な色彩の野菜だが、色は変わっていくらしい。

 少し遅くなってしまったが、上林禅寺に向かう。着いて直に山の奥の方に車を走らせる。私は黒川禅師の車に乗せていただいて、奥へ奥へ向かう。過疎の里は近年「限界集落」という言葉で表現される。65歳以上の高齢者が住民の50%を越えた集落のことだ。村の機能が失われ、5年、10年先には消滅の危機感があるそうだ。途中で「民泊、素のまんま」に立ち寄ってから、日が暮れそうなので先に「水源の里」に向かう。綾部市五泉町の市志集落だ。

 以前も黒川禅師に案内されて、限界集落の古屋地区に行ったことがある。過疎の村は高齢化で人が少なくなり、生活にも支障が出ている厳しい状況なのだ。ちょうど数日前のA新聞の記事「列島360」で、綾部市の、水源の里条例の記事も出ていた。小川に下りると、川の中にきれいな花があった。

「こういう山奥に人が住んでいるのが、不思議な気もします」「上林はお茶の名産地だったと思われますが、かってはこのあたりは豪族で栄えたところかもしれませんね」こういった過疎の村ほど、自然が残されている風景が見られる。長い間の人の暮らしや息遣いが消えていくのはつらいことだ。さみしいことだ。

 民泊(農家にそのまま泊めてもらう、民宿のようなもの)「素のまんま」に戻る。「昨日まで東京の方からお客さんが泊まっていました」自家製の「そばボーロ」も蕎麦の味がしておいしかった。横の茶室に案内される。女将さんにお茶を立てていただいた。山奥の静かな里のぬくもりがうれしい。

 「昼間は川で遊んだり、そばボーロを作ったり、ずっと寝てばかりの人もいますよ。都会からお金を使ってもったいないのにねえ」「僕はその人の気持ちわかります」と山崎七段がポツリとつぶやいた。(そうでなくとも寝てばかりだったなあ?)

 夜も更け始めて、上林禅寺に戻る。お寺でクロ、シロ、クマの3匹の野性味たっぷりの犬に迎えられる。私は腰が引け気味だ。里見八犬伝にでてきそうな犬達である。

  黒川禅師の奥様の手料理をごちそうになった。禅師の修業時代のお話を聞きながら、食事どき一色の当時の道具をみせていただいた。「食事、座禅、入浴のときは一切無言です。しゃべろうものなら、きつく叱責されコレで叩かれます」どう見ても、木刀としか思えない・・「いちばん大変だったのは配膳係りのときで、細かいしきたりを間違えそうでイヤでしたね。私はいちばん叩かれました。」黒川禅師は、若い人に混ざり子持ちで修業を初められたそうである。「和尚さんは子どもの頃から、やんちゃだったのでしょうね。」妻が危ないことを質問する。

 

 ご飯、汁物、お漬物を入れる茶碗が三つ重ねられるようになっている。お箸は大きくて食べにくいものだったが、食事前の読経にも使えるのだ。一切無言なので、食事を入れてもらうときとストップのときは合図があるそうだ。布巾もついているので一切手間がかからないように出来ている。何事も合理的な精神である。

 上林禅寺を出て、95さん宅に戻ってから、宝塚に帰ることにする。8時半を過ぎていた。帰りの高速では道も空いていた。宝塚に着き、清荒神の駅前で山崎七段を見送る。中身の濃い多彩な一日だったが、心地よい疲れだった。

 今回も綾部の皆さんにはいろいろとお世話になり、ありがとうございました。

 ☆昨日はC級2組順位戦で、糸谷四段は勝ちで、増田五段は負けだった。ふたりとも2-2だが、増田五段は痛かったが、最後まであきらめないで全力を尽くしてほしい。増田五段の将棋が終わるまで見ていたが、少し悔しい思いである。


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飛び駒会 [写真日記]

 今日は午前中「伊丹子どもコース」があった。8名参加で、夏休み以降、久しぶりの子もいた。伊丹コースは、原則第2、4日曜日、9時半から11時半まで。

 帰宅して、大あわてで昼食を済ませ、ピピアめふに行く。「第92回飛び駒会」の例会だった。今日はグランドチャンピオン戦で、毎月の優勝者の中でトーナメントを行い、前期Gチャンピオンとの三番勝負を行なうのだ。

 参加者は11名と少なかったが、白熱した戦いが多くて、将棋を見ていても面白かった。今日も数局、棋譜をつけたが、次回の例会で並べて大盤解説をする。以前は緊張のあまり、不出来な将棋も多かったが、最近は個性的で、メリハリがあって並べていても参考になる。棋譜はその人の将棋の顔かもしれない。

 終わって、数人のお客さんと、五階の映画館の前のバグダッドカフェー(喫茶店)に入る。将棋の話は飽きない、時間がいくらあっても尽きないものだ。

 帰宅して、夕食を済ませてペットショップに行く。帰りに久しぶりに、伊丹のサイゼリヤに立ち寄る。週末の仕事をこなした後はほっとひと息だ。

 文藝春秋10月号の「新・ガン50人の勇気」に村山聖”僕には時間がない”が掲載されている。写真あれこれにも掲載しました

  自分の時間は自分のものであるが、自分の時間がいっぱいあると思っているうちは、いい仕事ができない気がする。何かをおろそかにしている気がする。自分の時間が少ないとわかった瞬間、人の痛みも共鳴してくるものなのかもしれない。そのときは、時、すでに遅し、なのだろう・・なあ。黒澤明監督の「生きる」はそんな映画でもあった。

 

妻に言われてアップします。この花(実?)は不気味ですね。苦手です。

 昨日(2007、9,8)撮った花の写真です。


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