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日曜子ども教室 [将棋教室]

 

(きょうの写真はルンルン撮影)

 きょうは子ども教室の日なのだが、目覚ましの7時を過ぎても30分くらい起き上がれなかった。しぶしぶエイ!と起きて、源さんをサークルから出し、トビオ、クロの朝食をやってから、宿泊の坪井4級を起こす。朝食を済ませて、8時くらいから、掃除と子ども教室の準備をする。

 9時に阪上2級が来て(いつもは阪上2級が準備をする)、早めの準備が終わり、子ども達を待つ。9時半に竹内二段が来た。きょうから月1回だけ、子ども教室の手伝いをさせることにしたのだ。先日の将棋大会での冴えない手伝いを見て、こりゃああかん、役にたたんと思い決めた。将棋の仕事は何でもこなせないとダメだ。特に私の弟子ならと思っているが、今は弟子も増えて、全員には手をかけられない。

 雑事をさせれば、だいたい見えてくる。将棋だけ強ければいい、そういう考えだと間違いなく、伸びない。意味のなさそうなこと、自分にとって一見プラスにならないこと、いわば無駄と思われることへの意識をみれば、本当に賢いかどうか、善し悪しがわかるような気がする。冴えないのは損得や合理的なものを重視するあまり、人間としての底が抜けていることに気づかないことだ。

 10時になり子ども教室が始まった。詰め将棋を解くのが10分間、それが終わり10時10分から(日曜コースAは)5分くらい大盤解説をする。そして対局開始だ。指導対局はきょうも私が担当で、三面指しである。見学も含めて20名だったが、きょうは助手が三名と多い。但し手伝いが多ければいいものでなく、案の条、子ども達が騒がしくなってくるのが早かった。元気さと騒がしさの見分けはつきにくいが、対局のときしゃべり出すとダメである。

 指導対局はじかに子どもと指すので、実力や弱点、その子なりの課題などがテーマで考えながら指す。細かいことよりも「大局的な実力」を見るのだが、やはり「攻めの力」が足りないのが全体の特徴のようだ。子どもの入門~初級の将棋は”攻めて勝つ”ことがすべてかもしれない。将棋は序盤から中盤、終盤に向かうのでなくて、終盤の実力から中盤、序盤ができてくる。ヘタな表現だが、終盤の力を基に、中盤、序盤を指すものなのだ。

 11時45分くらいから、大盤で棋譜を並べて、次の一手をひとりずつ出題していく。恥ずかしがって答えない、内気な子もいるが、知らん振りして当てていく。出題して、顔を見ると、大体考えていることがわかる。

 12時にきっちり終わり(これも守るようにしている)テキストを配る。昇級した子には、残らせて景品を渡す。これで午前のAコースは終わりだ。

 昼食後に弟子達が将棋を指しているのを見て、こりゃあかんなあと思った。こういうのを見ると、そのときにいちばん何が大切なのか、わかっていないのだ。子ども教室への取り組みが、片手間なのがわかる。未練たらしいのだ。でも今はほとんどの弟子がそうである。この意味合いが多分わからないのだと思う。教える気にもなれないが、教えないともっとわからないままに終わってしまう。12時40分になってもやめないので「教室のときは自分たちで将棋を指すな」と言って辞めさした。

 午後1時からはBコースだ。こちらは中級から上級コースで、さすがに午前中よりは静かな雰囲気なのだが、それでも途中から崩れていく。みんな何のかんの言っても力が付いてきているのだが、肝心のところで、急所をはずすきらいがあるようだ。その原因は、気の緩みである。将棋は盤面にのめりこむくらいでないと(強い弱いでなく、真剣さを味わうみたいな雰囲気だ)もったいないと思う・・子どもゆえにそういう感覚を身につけてほしいなあと思うのだが。これは指導側の課題、問題点でもあるのだ。

 

 3時半になり、子ども日曜コースが終了した。毎回,終わるたびに、あれこれ悩みを抱えるのだった・・でもまあ子ども達が元気に走ってきてくれて、元気に走って帰ればいいかなあ。こども教室は毎回、ぶっつけ本番だ。

 きょうは節分である。「笑点」を見ながら夕食だ。カキフライを食べた後で、南南東を向いて巻き寿司を食べる。少しの間だけ、黙って食べる。どちらもおいしかった。

 少し居眠りしていると、源さんがやけに騒がしくつきまとう。きょうは昼間もわがままで、砂を蹴散らして、態度は乙だった。(古くさい評価だ)しきりに「ククーククー。クオーン」と甘えた声で鳴く。その割りに私の顔や腕をつつきまくって、寝かせてくれない。私が育てるイキモノは、みんな素直にのびのびしすぎて、わがままになるそうである・・

 


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子ども日曜コース [将棋教室]

 

低学年の子の方が姿勢よし!

 今日は午前中「子ども日曜コースA」だった。朝から少し体調が重くて、早めに準備して二階に上がり休む。この15分くらい休むのが大きい。16名出席だったが、開始早々騒がしいのでカミナリを落とす。きちんとしている子も多いので、ワイワイされると、なんで集中しないのかなあと思ってしまう。よけいな時間を使わないで、将棋に打ち込んでほしいなあ・・

 その原因は①将棋が思うように上達しない②なかなか勝てない③負けたくないので、相手の気を散らしたい④仲間といるだけで楽しい⑤集中力がない⑥我慢心がない⑦大人を甘く見ている⑧しゃべりながら取り組むクセがついている⑨将棋でどう指していいのかわからない⑩早く終わらないかなあ、ざっとこんな理由が考えられるだろうか。

 ひとりひとり指導対局をする限りでは、みんなけなげで可愛いのだが、何かのきっかけで集中力のタガがはずれると危ないようである。場のムードが壊れるのは、案外たいしたことがない冗談や、雑談から発生する。子どもといえども油断できないのである。とにかく2時間はみっちり「将棋漬け」になってほしいのだ。それから、何かが生まれるものなのだ。

 弟子の手伝いは、大石三段、西田二段、阪上2級のメンバーだが、親しみを覚えられるよりも、きついお兄さんであってほしい。みんな仲良く楽しく過ごせばいい、そんな甘い話などないもので、やはり習い事はきちんと教えるのがいいと思う。決して「生徒から見ていい先生」になってはいけないのだ。「みんなに公平で、厳しい先生」がいい。

 午後からも「日曜コースB」だった。こちらは9名出席で、さすがに有段者とj中、上級コースなので、全体ではまずまず静かだ。(それでもソワソワの子もいるが)今年に入って、指導対局は私がやるように戻したが、その分、雰囲気が不安だが、どちらに重きに置くかである。やはりいちばんは「底力の棋力アップ」が私の方針である。指導者によって、考えは異なるところだろう。

 私の理想は、ジカの指導対局を一日特訓で、ひとり10局くらい、超早指しでやるというものだ。但し、私の体力と子どもの気力が持たないだろうなあ・・まずは将棋は「あたって砕けろ」の精神で数をこなすのがいいと思う。

 3時半に終わり、片づけをして、西田二段と阪上2級が帰った。その後で、ようやく休みが来たような、うれしさでほっとする。

 久しぶりに「笑点」を見た。夕食は「てん川」でなすとトマトのカレーうどんといなり寿司を注文した。案外こういうことが、至福の時間かもしれない。その後でHIROでコーヒーを飲む。ひと息つけた。

☆アルバム<子ども日曜コースA,B>

私の指導対局、三面指し

有段者らしい対局風景

感想戦、こうやれば勝っていたなあ・・

 昇級規定をみている。まだかなあ・・

教室が終わってからです。漫画は将棋の漫画(聖も人気がある)


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子ども土曜コース [将棋教室]

 

 きょうは午前中「子ども土曜コース」だった。いつも7時に目覚ましをかけて、7時10分くらいに起きて(この10分は未練たらたらの睡眠だ)トビオ、クロに餌をやって、源さんを部屋に出す(出さないとうるさい)その後で、朝食を済ませる。それから8時半くらいまで、ネットで詰め将棋などのブログをアップして、掃除に取り掛かる。9時に阪上2級が来て(以前は遅刻が多くてカミナリだ)子ども教室の準備だ。9時半に準備OKで、ぼちぼち子どもがきはじめる。

 出欠のチェックと、詰め将棋のプリントに取り組ませる。横着な子はしないようだが、「詰め将棋の好き嫌い」は上達と比例しているような気がする。10時開始だが、初めの10分は「詰め将棋」の時間だ。それから手合いを付けて「対局開始」で指導対局も同時進行で行なう。11時40分くらいになると、対局を終わらせて、「大盤解説」をする。棋譜を並べて「次の一手」の出題で、ほとんど全員に一回は答えてもらう。棋力差によってヒントを変えるのだ。12時に終了で、毎回作っているテキストを配布して終了だ。帰りは、昇級した子に「プレゼント」を渡す。

昼休みに源さんを外に出して、水浴び

 手伝いは、大石三段と阪上2級のコンビで、もう長い。阿吽の呼吸といいたいところだが、まだふたりとも、子どもに左右される面があるようだ。公平さと毅然としたところがもっと必要だ。 指導将棋はうまくなる必要はないが、「将棋は仕事」そのことを膚で感じることが大事なのだと思う。

  午後からは「土曜教室」だった。このところ、上達の手ごたえのあることが多くて、うれしくなる。熱気ムンムンもいい。目いっぱい指さないと、こっぴどく負かされそうな雰囲気なのだ。教室に来ている人は、棋力もまちまちで強いひとばかりでなくて、共通するのはひたむきな人が多いので楽しい。1時から5時までだが、あっという間に過ぎてしまう。

 今日も喫茶「キヨ」に行く。帰宅して夕食「寄せ鍋」を食べる。まだ明日の子ども教室があるが、次第に心身ともに回復してきているようで、ほっとした。あれこれとせわしない新年だった・・

教室が終わって、源さんと一緒に一息つく

☆アルバム「子ども土曜コース2008,1,19」 撮影、ルンルン

 

 

困ったなあ

いい手がないかなあ

僕ならこうするんだけどなあ

これは勝ったなあ

 


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子ども教室 [将棋教室]

 

新入会の子が中心で、姿勢はいい。

 きょうは午前中「日曜コースA」だった。阪上2級が免許合宿で不在なので、西田二段とふたりでこなさないといけない。こういう日に限って出席が多くて21名。小さな子が多いので、集中力が途切れないように、警戒する。新入会の子もいるのだが、ようやく名前と顔が一致してきた。16級から20級までの子が多いのは、ありがたくて、やり甲斐はあるのだが、終わるとグッタリする。私が手合いを付け、西田二段が指導対局を担当した。

力が入ってきた・・将棋に全力集中しよう!

 途中で、また隣の部屋で小さな声でブツブツが聞え始めて、妻にも手伝ってもらう。目が離せないのだ。学年が上の子の方が騒がしい傾向にあるのが冴えない。「見本を示さないといけないのが、それじゃああかんやろう」低学年の子のほうが集中力があるようだ?将棋の内容を見ていると、まだ指すのが楽しいレベルなのだが、ここで何を教えるのか、いつも手探りだ。私は将棋は楽しかったらいい、という方針でなくて、やっぱり上達してほしいと思っている。

西田二段の指導対局風景

 局数は2時間で、多い子で10局、少ない子で4局くらいだ。持ち時間は10分切れ30秒が原則で、入門の子ども達はチェスクロックは使わない。最後に大盤解説をする。プロ棋戦の棋譜を並べて、次の一手を指名していく。ボソリとしゃべる子もいて、かわいいものだ。①攻めのパワー②終盤の迫力③対局姿勢、これが今後の全体の課題だろうか。

 午後からは「日曜コースB」だった。12名出席だった。今度は久しぶりに私が指導対局をする。先日から気になっているが、(もしかして全体に弱くなっているのでは?)その不安が出てきたので、やっぱり直接指導しないと、手ごたえはわからないのだ。指導対局は勝負というよりも、子どもの特徴と棋力を計る意味あいもあるのだ。どこがわかっていないのか?それがテーマなのだ。

 大盤を終えて、さすがにぐったりした。西田二段も様になってきて、子ども教室のけっこうあちこちに目が行き届くようになった。これで奨励会の成績がいいとほっとする。

 終わって、急激にお腹がすいたので、トビオ、クロに餌をやって、源さんを出して少し相手をしてから、てん川に食事に行く。きょうは「鍋焼きうどん」を食べてみた。

てん川の駐車場にて

 帰宅して「笑点」を見ようと思ったら、サッカーの特別番組となっていてなかった。仕方ないので、居眠りする。

 NHK大河ドラマ「風林火山」の最終回だった。まわりくどいセリフ回し?ともこれでお別れかと思うと、さみしくなる。山本勘助の生涯を見ていると、やはり人生無常と思うのだった・・

駅前のベガホール、今日もイベントがあるようだった。

 夜、村山聖の写真があったので、スキャナーする。プリントしたのはアルバムに挟んでいるが、何度見ても、懐かしい写真だった。

 弟子はみんなもっと、将棋にのめりこめないものか・・中途半端な生き様は悔いが残るだろう。自戒の言葉でもある。もっとも私の場合は、将棋でなくて、人生にのめりこみたいと思っている・・


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子ども日曜コース [将棋教室]

 今日は午前中「子ども日曜コースA」があった。17名出席(見学1名)で、にらみを利かしていたので少し自重気味だが、危ない雰囲気は変わりない。子どもはひとたび雰囲気が崩れると、なし崩しになってしまう。コツコツ将棋に取り組んでいる子も多いので、けっこう神経質になるのだ。根気よく取り組むしかない。

 今日も手合いを付けながら将棋を見て回ると、序盤が冴えないようだった。いわゆる我流で、自分の好きな指し方をする。勘違いしやすいが、勝手きままと自由な発想は違う。将棋を覚えたときは大雑把でもいいから、指しこなすのが大事だが、初級になるとそろそろきちんとした序盤も大事なようだ。

午前中の指導対局は阪上2級

 盤面に集中するのは、意外に根性がいるものだ。しゃべりたいのをぐっと我慢して、将棋を考えるようになると、もっと楽しいのだが。ちょっと性格が暗いめの方が将棋はちょうどいいのかもしれない?いや、性格は明るく、将棋は静かに、勝負はからく、人にやさしく、それがいい・・

初めは居玉での戦いが多い

 午後は欠席が多くて(風邪に注意しよう)7名出席だった。久しぶりに私が指導対局をする。(最近は手合い総括?で、私の指導対局ができないこともある)指してみて、少し手ごたえがよくない感じがした。弟子の指導対局でいじめられて、手が伸びなくなっているのだろうか?私の指導対局の方針は、きちんと指すことだ。勝ち負けよりも、自然な「普通の手を指す」ことを教えたいのである。

 下手の弱点は「結論を狭く見る」ことにあることが多い。特に子どもは即決主義みたいに、あっけらかんと結論を出そうとする。いわゆる「長期戦」を望まない傾向がある。だからその局面で答が見つからないと「暴発」気味の指し手が出る。将棋の技術的な面では「長期戦を望む」方針を指導するのがいいように思う。

 いちばんいい例は、初心者で持ち駒に角があると、すぐに王手をして、うっかりすると玉を取って勝つことをねらったりする。いわば長く戦うことのコツがわからないのが大きいのだ。「盤面の駒を使う」ことをいかに教えるかだろうか。

 子ども教室が終わって、阪上2級に頼んで精米に行く。これで大丈夫だ?そのあとで久しぶりに「笑点」を見て、また少し居眠りした後で、天かわに行く。今日は「カツカレーうどん」を食べた。寒くなるとひときわおいしい。近所の人とバッタり顔をあわせる。やはりカレーうどんを食べに来たみたいだった。

 帰宅して、遅れていた詰め将棋ブログをアップする。

まだ、昨日の桑原しんいちさんの弾き語りリサイタルの余韻が残っている・・自分を出し切るさわやかさだろうか・・素晴らしいリサイタルでした。

<追記>

 今日(12月3日月)のサンケイ夕刊に私のエッセイ「棋怒哀楽」が掲載されます。今回は「落語と将棋と修業」がテーマです。どうぞご覧下さい。


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土曜将棋教室 [将棋教室]

 

 子ども土曜コースで、久しぶりの大石三段と阪上2級が担当だった。振り替えもあって、27名で大賑わい?だった。開始してから前半は最近ではまずまずのいいムードだったが、後半はやはり騒がしかった。そんな中で将棋を見て回っていると、勝ち負けに左右されないで、踏ん張っている子もいるのがうれしい。

 私は踏ん張っている子が好きである。勝負に明暗はつきものだが、子ども教室では、勝負は技術が一番、気持ちが二番だろうか。姿勢が三番みたいなものだろうなあ。技術は鍛錬と修練とで、どちらも練習の字が入っている。将棋でいいのは、しっかり取り組めば、確実に自分にプラスに跳ねかえってくることだ。勝負の世界は入門者からすでにから山あり谷あり、波ありなのである。

 午後からは土曜教室で、こちらは休みが多くて7名出席でのんびりムードだった。手合いは平手、角落ち、飛車落ち、二枚落ち、六枚落ちだが、私は下手にからいほうなのだが、教室では苦戦気味である。その人によって、踏ん張りどころが違ってくるが、やはり急所は終盤の感覚だろう。終盤は手抜きを覚えるのが大きいが、(将棋用語だが横着な手抜きでなくて、勇気を持って手を抜く意味だ)この感性は独特のものだ。自転車に乗ったり、鉄棒で手を話す感覚だろうか。詰めの嗅覚でもある。

 終わってから喫茶「キヨ」で雑談をする。来月はすでに教室の忘年会の季節である。師走の声が聞こえてきはじめた。

 食事しながら、今日の妻の意表の行動のあらましを聞く。そのうち「ルンルン○○放浪記」を書くことになりそうな勢いだ?

 夜は詰め将棋の原稿の仕事をする。とにかく仕事はコツコツと少しづつこなしていくのがいいようだ。奨励会の前日は弟子を誰も泊めない(不公平なので)が、月曜日が奨励会なので、今日は坪井5級が宿泊だ。今年もあと2回なので、みんな気持ちだけは高めて戦ってほしい。


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子ども教室 [将棋教室]

 

 今日は午前中、子ども土曜コースだった。見学1名を含めて24名出席だった。大石三段が休みで、代わりに竹内大悟二段が手伝いだった。前回はかなりうるさかったのだが、今日はまずまずの雰囲気だった。子ども教室がうまくいかないと精神的に結構こたえるのだ。どうしたらいいのか考えていると、その晩は子どもを叱っている夢を見たりする。ともかく、将棋に取り組んでほしいだけだ。

 今日は級差が開いている子ども同士の、大駒落ちの手合いを組んでみた。やはり上手の勝ちが多かったが、初手合いもあって新鮮ではあった。自分が駒を落として下手と対局するのも、案外楽しんでいる子もいる。教えられる側ばかりだったのが、自分が教える側に回ると、ひと味違うものも生まれるかもしれない。

 将棋では”棋力によって異なるが、何がわかっていないか”がわかっていないと、教えているつもりでも、馬の耳に念仏となってしまう。教える側の自己満足から脱皮するのが大切だろう。顔を真っ赤にして「フッー疲れたなあ」とつぶやくA君、見ると三局しか指していない。

 私の教室では持ち時間は10分切れ30秒でやっているが、初級者同士は時計を使わない。パチパチ時計の叩き合いでも困るからだが、時間を取らないと終わらないケースもあるので、途中から時計を使う場合もある。将棋は考えるゲームなのだが、基礎を身につける段階では、考えるよりも、早く手を動かして早く指した方がいいだろうと思う。力が付いてくると、今度は早く指さないでじっくり考えた方がいい。

竹内二段の指導対局 

 阪上2級の指導対局

 ここ数ヶ月、指導対局を弟子に任せて、私が手合いを付ける側に回って子ども教室を見ているのだが、実感としては指導対局の方が疲れない。将棋は何局指しても、いっこうに疲れないのだ。むしろ将棋以外に目が向いている子を、振り向かせるのがきついことなのかもしれない。これはプロを目指している奨励会の弟子も同じかもしれない。

 教室の指導やプロになる修行には、簡明なマニュアルがあって、それに基づいたカリキュラムがあれば越したことはないが、そんなものはない。作ればあるのかもしれないが、理屈だけで出来るものでないのが私の実感である。いろんなプロの世界があるが、結局は人を育てるのでなくて、いかに人が育つか?が大きなテーマなのだろう。

 これから10年後に師匠として教室の先生として、自分がどういう思いを味わうか、どういう悔いを持つか、不安がいっぱいで怖い限りである。子ども教室の子ども達や、弟子達に、結果はともかく自分がきちんと向き合うことしかないのだろうなあと思う・・

 ☆明日のテレビ「熱中時間 鉄道特番」BS2 11月11日(日)21:00~22:00に、私の将棋教室に通っている村山大地君のお父さん、村山茂さん(伊丹市在住)が出演されます。番組の中の「熱中倶楽部」で、最後の方の7~8分だそうです。

 是非ご覧下さい。再放送BShiは11月12日(月)12:00~13:00


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土曜教室 [将棋教室]

 

 今日は午前中、子ども土曜教室だった。大石三段は三段リーグ開幕で東京へ、阪上3級は伊丹将棋センターの手伝いなので、今日は西田初段と、藤原1級が手伝いだった。休みも多くて18名出席だったので、静かに出来るかなと思っていたのだが、あにはからんや(古い言い回し)数人のメンバーが冴えなかった。大きな声で騒がしいのでなくて、ボソボソとささやくような騒がしさだ。根気よく注意していたが、最後の大盤解説の前に、大きな声で叱り付ける。以前から気になっているのだが、静かに取り組めないのは何故だろう?

西田初段

藤原1級の指導対局

 子ども達は、楽しいことと、騒がしいことがごっちゃになっているようだ。ひとりひとりだといいのに、揃うとペースが乱れるような気がする。全般に人との比較に弱い気がする。もっと真っ直ぐにたくましくあれ、である。

  初級者の子ども達の将棋を見て回ると、①序盤は私が教えるよりも、子ども同士の戦法の方が広まるのが早い②まだ序盤の途中でミスが出てしまう③中盤は何を目指していいのかわかっていない④終盤は駒を「捨てる」感覚を持っていない⑤手筋を覚える、知る、身につけるのはまだまだだ、そんな感想を持った。

 午後からは土曜教室だった。当たり前だが、その静けさにほっとする。大人は平手、角落ち、飛車落ち、二枚落ちと様々で、たいてい急所は「終盤」となる。終盤までじっくりと、あわてないで駒を進めるのがコツだろうか。

 終わって喫茶店に行く。「今日のふたりの指導はいいなあ」西田初段と藤原1級のことだ。「おとなしくて親切やわ」(では大石三段、阪上3級は?)

 私が留守のときに、大石三段から結果報告があったみたいで、連敗スタートのようだ。三段りーグは大きな難関で、日々しっかり精進して取り組むことしかない。自分を信じてがんばってほしい・・

 負けたときのことだと、いつも村山聖のことを思い出す。奨励会のときはつらそうだった。くやしさよりも、からだにこたえるようで、寝込んでしまっていたようだった。言葉にする元気もなかったのだ。棋士になってからも、アマの人に負けたときがあって、一緒に家に帰りながら「今日は負けたのか?」(こういうときは、結果を知っていてもしっかり聞いたほうがいいのだ)「はい、負けました。相手の人が強かったです」悔しさよりも”悪いときは辛抱に辛抱で、耐えて機会を待つ”村山聖の言っている通りの、内に秘めた静かな感想だった。

 誰しも、何度か、信じたくない、自分の人生を恨めしく思うような体験をすることがあると思うが、それをどう消化するかが、人間の器量なのかもしれない。また、それが一生続くかもしれないのだ。それでも、それだからこそ客観性を持って自分を信じることは難しい。自分を過大評価し傲慢になったり、過小評価で甘えるのが多いパターンだ。こちらも、たくましく賢くあれである。


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子ども教室 [将棋教室]

 

 今日は午前中、子ども将棋教室日曜コースAで、見学も含めて13名出席だった。西田初段、阪上3級、昨日宿泊の来海4級も手伝う。私の弟子はほとんど教室を手伝わせているが、人数が増えて遠方だと難しい。将棋は仕事、この気持ちを持たすことが大きな目的だ。

 午後からは日曜コースBで、11名出席だった。今日も私が手合いを付けて、見回ることにした。最近はこのシステムで、本来は私が直接指導したいのだが、全体のムード作りが大事で、弟子に任せられない状況なのだ。教室の雰囲気は堅苦しいのも、柔らかすぎるのも好きでない。将棋の面白さを追求する場になってほしいのが理想である。でも騒がしさはかなわない・・こともある。

 自分が学校の先生になったような気分の面もあるが、違うのは義務教育でないので、きつく言えることだろうか。本来は叱るのは苦手なのだが、全体の雰囲気が壊れるのも困る。しかし次第に自分の教え方にも問題があり、常に自省して、工夫の必要があることと、何かを見据えて自分の気持ちをきちんと伝えることが大事なのだとわかってきた。礼儀やマナーは教えるのでなくて、将棋に目を向ければ自然と備わってくるものかもしれない。

 

 子どもはひとりひとりだとみんな可愛いが、グループや群れになると危ない要素がある。小さな崩れから歯止めが利かなくなってしまう面もあるのだ。ひとりひとりの将棋の特徴や弱点が見えてくると、今度はどうすればいいのかを考えるのも張りがあるが、しかし解決できるものでもない。将棋は教えるのでなくて、伝えるものだと思っているが、棋力アップを計ることや教室の充実のための問題は山積みだ。

 将棋も習いごとのひとつなので、魅力を感じるかどうかは指導する側と習う側の呼吸の一致も必要だ。バランスも大事だから、自分の仕事は選択の余地がある中で、きちんとお膳立てすることだろうか。何事も無理強いはよくない。こんなことを言うので商売っ気がないのだろうなあ。でも何事も自然がいいのだ。勝負事は好き嫌いや向き不向きもあるし、将棋以外にも楽しいことはあるだろうから。

 私自身は根っから将棋が好きである。恐らく仕事でなくても続けていただろう。かといって勝ち負けや強さだけを追いかけて、それだけの価値観で生きていくこともなかっただろう。結果だけで左右される世界は苦手である。でも馴れ合いの世界はもっと苦手である。自分の価値観は自分で決めたい。そんなへそ曲がり邪心があるのだ。

 但し弟子にはみんな強くなってもらいたい。これは大きな期待である・・ 


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飛び駒会 [将棋教室]

 今日は午前中、伊丹子ども教室があった。10月いっぱいは土日のみ営業予定だが、子ども教室は平常通りだ。今日は欠席もあり6名参加だったが、その割りに元気いっぱいの教室である。

伊丹コース指導対局風景、困ったなあ。

 終わってから、いったん帰宅して、それからピピアめふで、「飛び駒会」があった。こちらは11名参加で、見学1名だった。大盤解説、ミニ大会、指導対局などであっという間に時間が過ぎる。

 今日は向かいの部屋で、コンサートがあり覗いていると「将棋の森先生ですね。以前お会いしましたけど、覚えていますか?」と主催の教会の牧師さんに挨拶される。(困った・・記憶がない)「どうぞお入り下さい」奨められたのだが、飛び駒会の進行をしないといけない。私は人をすぐに忘れてしまうので、あちこちで失礼な行為をまき散らしているかもしれないなあ。

 飛び駒会が終わってから、5階のバグダッドカフェーにいく。ahiruさんと平石さん、西田初段と阪上3級のメンバーだった。ネット将棋や子ども教室のことなどで雑談をする。

 帰宅して、夕食を済ませて、HIROにいく。土日の仕事が終わると、ほっとするのだ。夢人さんからの「のだめ」を見る。面白かったが、このドラマを夢人さんが見ている姿を想像できないのだった・・私が見ている姿も想像を絶するだろうなあ。今回のコンクールのシーンは「北京バイオリン」を思い出して、のだめが、ちょっとかわいそうだった。

 夜、弟子のX君の家から電話があった。現実に引き戻される感じだったが、弟子のことでは悩みも課題も多い。いつも脳裏の隅っこで、責任と不安と開き直りみたいな気持ちの繰り返しである。無責任でキツイ言い方をすれば、自己責任が九割である。師匠と言っても無力なのだ。だから弟子が強くなっても、師匠の存在がどうのこうのとは思ったことがない。あるとすれば、私自身の一方的な思い込みかもしれない。

 人が人に影響を与えるのは、よっぽどリズムや感性が同じでないと無理なのである。だから師匠と弟子はあくまでそれなりの師匠と弟子であり、それに過ぎないものだと思う。基本的に師匠は弟子の成長を願うことしかできないのだ。ただ弟子が偉そうに威張ったり、怠けたり、堕落されるとつらいものがある。それも私自身の問題意識でしかないが、結果はどうあれ、まっとうに生きていってほしいのが心情である。ただ奨励会員の弟子だと、余計に結果を出してほしいが、とにかく「自分に厳しく」それしかないだろうと思う。

 今は自分に自信の持てない時代のように思う。どんな立場でもこうすれば大丈夫といったものがないのだ。不安が交錯しながらも、ひたむきに暮らしていくしかない。 こうやっていい加減ながらも、自分を励ましてどうにかこうにか支えているのかもしれない・・心もとない日々でもある。

☆飛び駒会 熱戦アルバム 2007,10,14

さあどちらが勝ちか?

 

西田初段の指導対局

 将棋を見て回り、咄嗟の直感でどちらが勝ちなのかを考えるのも面白い。対局者で想像してはいけません?


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