忘年会に行く [日記]
昨日は(12月28日水曜)午後から大阪の鶴橋に行く。児玉孝一七段と伊藤博文六段との恒例の忘年会だった。初めに麻雀をして、夕方から焼き肉のパターンだ。青木清六段は欠席でいつもこのメンバーだ。
麻雀は伊藤六段の勝ちで、私はトントン、児玉七段の一人負けだった。
このメンバーはもう30年近い付き合いである。焼き肉を食べながら最近の様子を話すのだが、児玉七段は三月で引退した。「引退の慰労会は?」「とんでもない‥そういうのは苦手やから‥」控えめな児玉七段は人前が苦手なのである。
関西将棋会館で月に一回、東七段の教室を継いで開いているらしいが、あまりお客がいないそうだ‥「あんたもっと宣伝しないと‥」「そういうのは苦手やから‥」
実はもう何年も前から私の弟子の指導を、ひそかに児玉七段に頼んでいた‥棋士というよりも将棋指しの雰囲気そのものの児玉七段は、不器用なのだが将棋は根強い信頼感がある。カニカニ銀は強情さから生まれた戦法なのである。児玉教室の案内です。
児玉孝一七段・増田裕司六段 将棋教室
一局2,500円 (手合い自由)
二局4,000円 (手合い自由)
最大6面指し
- 第二土曜日 「児玉孝一七段将棋教室」
第四土曜日 「増田裕司六段将棋教室」
- 予約申込み・問い合わせ
☆「児玉七段将棋教室」 tel.06-6451-7272(将棋連盟関西本部)
☆「増田六段将棋教室」 tel.090-9699-9433
食事が終わってからは喫茶店がこの忘年会の特徴である。
駅でセルフで撮影していると、10秒でシャッターの9秒くらいの時に‥「アッ」ハプニングも面白さなのである。
鶴橋駅は懐かしい。奈良に住んでいたときは最終電車でよく帰った‥
いつもは喫茶店の一階でなくて地下にいくのだが、封鎖?されていた。初めてのことだ‥景気の悪さが底の底までしみとおっている感じがする。
喫茶店では私と伊藤六段がいつも〇〇パフェー、児玉七段がぜんざいを注文する。何年来の奇妙な注文だが、そのあとでコーヒーである。話に夢中になって現物の写真を撮り忘れてしまった。
ふと私は今朝から風邪気味で、おなかの調子が悪いのを忘れていた‥
喫茶店の前でセルフで撮る。
師走の夜の街は何とも言えないいい雰囲気だ。
駅の前でセルフで撮る。このときはデジカメが落ちそうだった。
また次回の再会を期して別れる‥
夜も遅いが、金太郎を出す。喜んではしゃいでいる。最近は裏の扉を開けると帰ったのがわかるようである。
にらめっこ?でなくてメガネをはずそうと企んでいる?
シャツを噛んでいる。ほおっておくと穴が開く。
昨日は園田競馬で「第11回兵庫ゴールドトロフィー」があって、オオエライジンが出走した。JRAからはスーニ、セイクリムズン、エーシンフォワード、そして笠松からラブミーチャンが出走した。
結果はスーニが優勝、2着にセイクリムズンで3着にオオエライジンだったようだ。オオエライジンは奮闘してJRAの馬に劣らぬ底力を見せたようで、よかった‥(やや無念さはあるが)
帰宅すると妻のデジカメに「岩田康誠騎手」とのツーショットが写っていた‥私も行きたかった‥
山崎七段来訪、小学校指導日 [日記]
昨日は(12月27日火曜)午前中、のんびり過ごす。また風邪気味になっている‥
金太郎は出入りがやりやすくなったと思ったら、知恵を使ってきて、なかなかすんなりとはいかない。妙に用心深いのだ‥またおしゃべりの声がはっきりしてきた。はっきり意思表示もする。
昼前に山崎七段が来て、一緒に宝塚に行く。来年の1月17日の震災の日の一門新年会の昼食の予約である。山崎七段が幹事なのだ(私も山崎君も忘れていた‥糸谷五段に指摘されたそうだ)
日が射し込んでいるときはいいのだが、陰ると冷たい。食事会の予約を終えて戻る。
温泉の碑と冬らしい椿の横で写真を撮る。
昼食を一緒にする。ここにも椿があった‥
日当たりのいい窓際の席だったので、武庫川の風景が見える。今はユリカモメがいた。
山崎七段とは久しぶりに会ったがいい表情だった。むしろ以前よりも凛々しいものも感じてほっとした。年齢とともに少しずつ環境も変わってくるものだが、将棋への気持ちだけは確たるものを持ち続けてほしい‥幹事の打ち合わせを忘れて近況を聞く‥のだった。
家に戻って少し休んで、また出かける。今年の仕事納めは小学校の指導だった。
冬は単調な景色になりやすいので、椿の赤が目に付くのだ‥生命力の衰えとたくましく燃え続ける激情‥をはらんでいる赤だ‥
金太郎は変わりなく遊ぶが、明らかに成長している‥その分自我の目覚めもあって、ますます大変だが?
いよいよ年末で今年も押し迫ってきたが、今年はある意味で自分を見つめなおす境の時期でもあった気がする‥これからどうするのか‥を問われているのだろう。自分にできることとできないことの差をはっきりと感じた‥しょうがないのである。
あきらめと執着の見極めをしないといいけないのだろう‥