土日の日記 教室、京滋職団戦 [日記]
土曜日の日記 10月1日
◎土曜コース、土曜教室
金太郎が布ででんぐり返って遊んでいる。この後で布にぶら下がって毛づくろいをすることもある。
土曜日は午前中、子ども土曜コースだったが、運動会が多かったために欠席が多かった。ひょっとしたら出席者がゼロかなあと思っていたが10名来てくれたのでほっとする。
この日の振り替えで10月29日(土曜日)を臨時に土曜コースに追加することにした。
六枚落ち戦で序盤は仕掛けに失敗したが、第二陣の駒組みの途中である。これから5四銀~6二飛で攻撃体制ができる。
正確な攻撃体制を作るのが大切だ
飛香落ちで下手悪くはないが、やや攻めあぐんでいる。
角筋が止まると攻めが弱まる
角落ち戦で下手が位を取って優勢だが、こういう将棋はこの後の優勢の拡大方法が難しい面もある。
角落ちは位を維持した方が優勢になりやすい
午後の土曜教室も運動会の影響で少なかった。指導も千田三段と私だけだが、4名だったのでほとんどマンツーマンのように密度の濃い内容になった?
指導対局はこなすほどに特徴が見えて来て、どう指導していいのか方向が見えてくる。しかしだからと言ってそれが正しいかどうかは不明なのがもどかしい。
日曜日の日記 10月2日
◎京滋職団戦
日曜日は京都に行く。第46回京滋職域団体戦の審判の仕事だった。京都新聞社の七階ホールで、先週の日曜日には「京滋団体戦」があった。
第46回京滋職域団体戦の大会風景
予選は4チームのワクでチームが決勝トナメントに進出する。予選は25分切れ負けで、決勝トーナメントの準決勝から35分切れ負け。優勝するには一日に六,七局あるので、体力勝負でもある。切れ負けは緊張感が高まるのでけっこうきついのだ。
終盤は少し余裕を持たせて・・切れ負け寸前のたたきあいは心臓に悪いのだ・・
準決勝の対戦、三人一組だが団体戦は別のプレッシャーもかかる。
△8三歩までの局面だが、非常に難解な終盤の感想戦の変化だ。
一日がかりの職団戦の結果は、郵政京都Aが京都府庁Aを倒して優勝した。
おめでとうございます!
表彰式を終えて、いつものように?打ち上げ麻雀である。四条烏丸に出る。この日は少し負けで終わった。帰りの電車の中で酔っ払いの人が床に寝転んでいたので、途中の駅のホームで車掌さんらが3人がかりでおろしていた。
今日の競馬はネットで買っていたが、5レースやって1レース3連複で取ったようで、少し勝ちだった。G1は外れた。最近は3連複で健闘しているのだ・・自分のスタイルは変えないほうがいいみたいだ。
悪人 [日記]
金太郎が布で逆さ吊りになっている。手と口ばしで落ちないようにうまくバランスをとるのだが、ときどき落ちてしまうこともある。動物はプライドが高くて、源さんもそうだったがミスで落ちても素地らぬ振りをするようだ。
プリンターの蓋で遊ぶので、こうやって布にくるんでごまかすのだが、しつこい。遊ぶことで一度味をしめるとよく覚えているのだ。
布に乗せて遊ばせる。
右の布ばかりに乗せるので、紺の色が薄くなっている。
昨日はオフだったが、曇りの天気で遠出はしなかった。部屋の片付けとテキスト作成などで時間を過ごす。膝の痛みで、今は動くといつもの3倍くらいの疲労度があるので、すぐに横になって休む。居眠りも増えている。スタミナが減ってきて疲労度が増しているようだ。その上に悩みが多くなっている?のである。
特効薬があったりハウツーものを読んで解決するならいいのだが、今は何かの状況が停滞すると、自分の思考回路がパソコンのフリーズのようになってしまうことが多いかもしれない。デジタルの特徴、または現象だろうか、出だしはスンナリ前進するが、腹の据わった鍛え方が足りないのか、容易ではない壁にぶつかったときに脆い気がする。
人間はコンピューターではないので分野が異なり、コンピューターと比較するのが無意味と思うが、そのあたりの価値意識がばらばらのような気がする。進化という言葉も同じかもしれない。人間が優れている存在という思い上がり意識で、崩れたり壊れたり消えていくものが多い・・そんな気がする。でも現実に暮らしていくのは、理路整然としたものよりも、区別化現象があって、自分をおとしめない位置づけを死守する・・それが実体だろうか。
こういう屁理屈は意味がないといえば意味がないのだが・・自分なりの模索、手探りのひとつでもある。脆い知恵を絞って閉塞状況の打開策を考えるのだった・・
夜の部の金太郎。一日2回、朝と晩に部屋に出すのだが、金太郎も心得ている。
園田競馬の新聞を咥えている金太郎。馬券を当てるつもりかな?
後半は和室に連れて来て遊ばせる。ハンガーを使って夢中で遊んでいる。ひっくり返ったりでんぐり返ったり、鳥と思えない行動をすることもある。
最近は「コチョコチョ、コチョコチョ」という短いフレーズを口ずさむ。聞いているといかにもくすぐったくなるようなのだ。喜ぶと余計にそのフレーズを使うのが金太郎だ。
ソロソロケージに戻そうとすると、飛んでいってこうやってまたハンガーで遊ぶ。今度はハンガー落としだ。口に咥えて足で蹴落とすような荒い動作である。
「悪人」というDVDを見ながら過ごした一日だった。もっとも私はパソコンの前で仕事をしながらなので、難しい繊細なストーリーはもうひとつ不鮮明だ。殺人を犯した若者がもちろん悪人なのだが、それでも実際は誰が悪人なのか・・曖昧さがテーマなのだろうか?
今の悪人は明快でなくて、意外に知らないところで、自分が加担しているケースもある・・複雑に混ざり合って、逆に言うと善人も疑わしいのである。どこかで善も悪も混ざり合っている時代なのである・・そう思ってしまう。
「きれいごと言うなきれいごと!」何かのコマーシャルの大阪のおばちゃんのセリフだった。