土日の日記 土曜コース、京都アマ名人戦とピアノ発表会 [日記]
土日の日記 7月2日 3日
☆土曜日の日記 7月2日
土曜コースと土曜教室
一昨日の午前中は「子ども土曜コース」だった。欠席がいて普段よりは少なめだったが、少々手を焼いてしまう?暑さのせいもあるが、集中が途切れやすい・・
昨日は子ども教室の終わりごろに、1Fのトイレのトビラが開かなくなってしまった。幸い、誰も入っている子がいなかったが、あわててカギの救急に電話してきてもらった。昼休みから土曜教室にかけて修理してもらった。
将棋は戦いでもまれないと、実戦的なたくましさが身につかない。これは時間がかかるが、対局数をこなすのが大切だ。負けても負けても指すことと、できるだけ素早くいっぱい指すのがいい。初めは考えるよりも直感を大事にした方がいいような気がする。
但し直感で指すのは、ただ単に早く雑に指すことではない。集中が必要だ。この辺の説明が難しい。
千田三段の指導対局だ。淡々と厳しい?指導である。いい目安になるだろう。
今日はゆったりめだった。このまま静かな雰囲気でいってほしい・・のだが、何かのきっかけで崩れてしまうのがもったいない。本来は将棋教室で子どもを叱るのは苦手である・・将棋を教えるのならいくらでも構わないのだが・・
ここから6六角、同歩、同飛と強襲して下手有利になった。
ここから6六銀、6一飛、8六歩と受けたが、9七桂成、同桂、7六歩で下手が指せるようだ。難しい局面でどう対応するか、それが将棋の力だ。
ここから7三と、6八成香、6三と、4二金、6八銀、同竜、9五角以下上手勝ち。王手飛車の筋に入ったが、6三とに5九成香で下手充分だった。やはり終盤の駒の動きは一手一手独特の厳しさがあるのだ。それが魅力でもある。
教室が終って、喫茶店に行く。
◎日曜の日記 7月3日
☆京都アマ名人戦、ルンルンピアノ発表会
日曜日は「京都アマ名人戦」の審判に出かける。朝、7:30頃の電車に乗って向かう。車内でどうも眠くて困った。夏に向けて、体力不足を痛感する日々である。
今年はほぼ100名の参加者で、予選が行なわれた。四人一組の組合わせで、30分切れ負けである。将棋の内容と持ち時間の両方の戦いとなる。京都の予選はレベルが高くて代表になるおは至難である。
年齢層もまちまちだが、ベテランに奮起してほしい・・と思ったりする。会場を見て回ると、戦法はまちまちで、世代間の違いもあるように思う。興味深々だ。
来週に決勝トーナメントがあり、全国大会の代表2名が決まる。
昨日は少し早めに会場を後にして帰宅する。
夕方からの「ルンルンピアノ発表会」の備えてである。家で少し休憩して、ベガホールに行く。ちょうどホール内でリハーサルが行なわれていた。
前の方に座って、ビデオをセットした。最近は慣れていきているので、ほとんど同じカットでビデオカメラをセッティングして撮る。以前は手で撮っていたが、あまり動かすとよくないことがてわかった。定点撮影である。
プログラムーを見ながら、家で聞いていたなじみのメロディーが流れてくるが、なるほどこういう子が弾いていたのか・・意外なときもある。
緊張が伝わってくるが、親戚の人や家族の人が温かい拍手を送る。ベガホールは発表会には最高の舞台である。今は一年を通じても人気があるので、なかなか空きがないらしい。
第一部ソロ、第二部連弾と続いている内容だ。
終ってからSさんに誘われて、ご家族と一緒に市場の「へっつい屋」に行く。私は子ど将棋大会でもないので気楽な立場だが、打ち上げに参加した。
発表会も無事に終えて、ほっとするひとときだった。
木曜と金曜の日記 6月30日、7月1日 [日記]
☆ルンルンピアノ発表会
日時=7月3日(日曜日)17時30分~
場所=ベガホール(阪急清荒神駅前)
今年はベガホールです。どうぞお早めにお越し下さい。私はビデオ係りです。
木、金の日記 6月30日、7月1日
木曜の日記 6月30日
☆木曜の市
昨日は木曜日で、ダイエーの木曜の市に行く。木曜に買い物がすっかり習慣化しているが、この日は月末のせいもあってか、それとも雨のせいか?人が多くて混雑していた。人の流れは読めそうで読めない面もある。自分が従来は人の流れにそむくせいだろうか?
10時からの時代劇「俄」を観る。万吉は小林佐兵衛と名乗るが、これは普通にありそうで目立たない名前なので名付けたのだ。時代は幕末に入ったが、ここからがヤマ場らしい。とにかく万吉は欲のない男で、しかも命をすててぶつかっていくので、慕われる、頼られる・・多分、今の時代にはまずいない男である。物語は13回なのでちょうど半分あたりである。
山田太一脚本で木下恵介演出なのでさすがである。
金太郎のシャワーである。まだかなり怖がっている。終ると気持ちが良さそうなのだが、逃げられない心理があるのだろう。じっと救いを求める目をしているが、次第に慣れていくだろう。健康のためにも大切なのだ。
ざくろの花は地面にいっぱい落ちている。驚くほどの数だった。となると残って実をつけるのは今年も少ないのだろうか・・家のざくろは鉢植えを買って来たものだが、(山崎七段と一緒に行ったはずだ)ものすごく成長している。思い当たるのは、同じ場所でニワトリのハッチとポッチを飼っていたことだ。鶏糞の肥料がよかったのだろう。
ハッチとポッチは名古屋コーチンだったが、毎朝大きな卵も産んでいた。しかし年齢とともにフニャフニャの卵になってしまった?賢いニワトリで、庭の周囲の柵沿いを歩いていくのだが、決して家の外には出なかった。隣のNさんが「まあ賢いニワトリやネエ」と感心してくれた。
昼間は仕事をしながら、オッズパークで少しだけ園田競馬をした。この地方競馬専門のオッズパークは奇妙なシステムで?知らない間にスグに清算されている。どうも5日やらないと清算するようになっているらしい。忘れるとまた銀行に出向く羽目になる。商売っ気がないのか、健全ではある。JRAだと口座にお金がなくなるまで待たれている?印象だ。
夜は「渡る世間は鬼ばかり」を見る。最終シリーズなので、いろんなことをどう締めくくるのか難しいはずだ・・人には事情がある、運命にはきまぐれがある、泳いでいくよりも流される方が多いのが人生だろうか・・
夜は子ども教室のテキスト作成に時間を取られる。次第にペースが遅くなっている。ピッチが上らなくなっている。自分では元気なつもりでも、ぼちぼちと年齢のしわ寄せが出てきているのだろう・最近の状況を見ていると、弟子にももう少し腹をくくって将棋に取り組んでほしいと痛切に思う・・あせってもしょうがないが、凝縮という言葉もちらつく・・
金太郎は最近、寝かせるときに、半分遮光カーテンをする。そうすると寝る準備のメッセージになっているようで、以前ほどぐずらなくなってきた。
金曜の日記 7月1日
☆野間のオオケヤキとアオバズク
昨晩は22時半に眠くなってしまい、一度目が覚めたのが1時半でがっかりした。また寝なおして5時に起きる。テキストの作成をする。
朝早く起きて仕事をすると効率がいいが、ときどきぐったりしてしまう。梅雨時は危ないので、腰痛体操をして横になる。その繰り返しである。生身の体であることを実感する。
午前中は仕事をして、午後は用事をすませにあちこちに車で走る。最近、ガソリンを入れるときに要領が悪いせいか、最後にオイルが漏れる。ガソリンスタンドの人に聞くと、「しっかり握ってください」とのことだった。私は握力がないのだ・・数回続いたので、ビクビクしながらガソリンを入れる。セルフの店が多くなったのでしょうがないのだが・・
郵便局に行く。「森さん」私はよく記念切手を買いにいったりするので覚えられているのである。金太郎のことも知っている人もいるのだ・・
節電対策でスダレやヨシズをしようと思って見に行く。高さが2メートルを越えると車に乗せられない・・配送料を聞くと1000円掛かるらしい。ヨシズの値段が1000円くらいなのでぐっと返事を飲み込んだ。歩いて持って帰るか・・
宝塚の山本にある園芸の「あいあいパーク」に行く。金太郎の如雨露の穴が荒いので、きめの細かいものがないか観に行ったのだ。
時刻は14時になっていたが、時期的に能勢の「野間のオオケヤキ」にアオバズクが来ている頃なので、行ってみることにした。
1時間ちょっとで能勢にある野間のオオケヤキに着いた。さっそく樹のそばに行って見上げる。「あれれ、あれかなあ」妻がアオバズクらしきもの見つけた。
「シー、あそこらしいね」少し離れたところで年配の夫婦連れの人がつぶやいた。
オオケヤキのところにはこんな張り紙があった。昨年は夜に花火をした不届き者がいて、アオバズクが去っていったそうだ・・悲しい話である。
デジカメの限界だが、何とか撮れた。アオバズクに会えてうれしい。これから雛を育てて、飛べるようになると、巣立ちをした後で親はまた南の方に去っていくのだ。静かに自然の中で無事に育ってほしい・・そう祈りたい。
野間のオオケヤキに来ると、より深く歴史と時間の移ろいを感じる。
資料館に入る。この写真は新しいものだ。
すっかり晴れてきた。
帰るときに、息子から電話があって、宝塚に来ているという。連絡しないで来るからこうなるのが・・帰りも1時間くらいだった。
息子とあれこれ話をして、これから友人と会うらしくて、その近くまで送ることになった。
そのついでに昆陽イオンモールに入り、夕食は大食堂(古い表現だが)にする。私はステーキランチで、妻はチャンポンだった。
奥の方の席に女子学生が陣取っていた。勉強と言うよりもだべっている感じであるが、不思議な光景を見たようだ・・これも現代の断片だが縮図なのだろう。まあ暑いのでここで涼むのが理由だろうか。今は意外なことがごく普通になっていることも多くて、よくわからない・・
見ざる、聞かざる、言わざる、がいいのかなあ・・まあ平和なのだろう。でも、平和ですまないことが世の中では往々にして潜んでいるものだ・・そういう覚悟も必要なのだ・・